【取材旅行】宮滝遺跡
宮滝遺跡と吉野川、夢のわだの辺りを散策しました。
なぜでしょう?
吉野には夕方に来たかったのです。
…そのため写真が暗めです。
甘樫岡もでしたが、奈良の観光案内はとても良いですね。
親切ですし、見やすい。
(…伊勢に住んでいた頃、町の課題として何度も上がったのが案内図や道標の少なさだったので余計に…)
最近新しくしたのかもしれませんが、説明版も見やすくてわかりやすいです。
大きな「宮滝遺跡」の石標!
「ここに大海人皇子と讃良皇女たちが・・・!!!」
古代オタク心が燃え上がります。
大海人群の戦勝の報せを讃良皇女は、息子・草壁皇子や甥・大津皇子(姉大田皇女と大海人の子)、忍部皇子(二人と同じく大海人の子)と共にこの宮滝で待った…と言われていますね。
正確には、斉明天皇時代、大海人(天武)・持統時代、聖武天皇時代と宮の場所には動きがあると発掘調査からわかったそうです。
ですが、対岸やもっと上流や下流へといった大きな移動はなく、宮はこの地に造営され続けています(今後どこかで発掘されなければ)。
対岸には「夢のわだ」と呼ばれる古代からの景勝地もあり、眺望も好まれての立地だったのでしょう。
イメージ的にはこの写真の建物のように吉野川を見下ろすように宮はあったのかと妄想していましたが、実際には広々とした平地に建てられていたのですね。
ですが、宮滝遺跡も河原からの高さはあります。
吉野川を渡る橋(柴橋)が架けられているのですが、けっこうな高さで川を見下ろします。
(私の写真ではわからないと思うので、Googleのストリートビューで確認を)
「現地に行ってみないとわからない」というのが持論で、フィールドワークも大好きなのですが…ストリートビューは本当に便利ですよね。
それでも現地に行き肌で感じたいのです。
特に私は古代のことを書いているので、ただでさえ想像の部分が大きいです。だからこそわかる範囲で実際の情景を体感して、少しでもリアルを追及したいのです。
宮滝遺跡の対岸の展望台周辺を散策してみました。
この辺りが万葉歌にも詠まれる「夢のわだ」周辺でもあるようです。
あれ?この吉野川の様子…見覚えが…あ!里中先生の『天上の虹』です!
讃良皇女が大海人皇子に泳ぎを習うというシーンがあるのですが、その情景がここです!
岩の感じ、水の流れ…あのシーンがありありと思い浮かぶオタクな私。
里中先生、素晴らしいです!と心の中でスタンディングオベーションしました。
フィールドワークは大事。特に川の流れってその場に行かないとわからない。
そう思わさせられたのが、宇治川を見た時です。
『源氏物語』で浮船が宇治川に身を投げる…それを読んだ高校生の私は、川幅も狭くて緩やかな川を想像していたのですが、実際に行ってびっくり!広々とした激しい流れではありませんか!
「浮船の入水って思わせぶりなものかと思ってたけど…本気だったんだ!」とストーリーの見方も変わってしまいました。
こちらは展望台の案内板です。
宮滝の案内板との違いはわかりますか?
南北ではなく、実際の位置から見た地図…わかりやすい!
地図を見える方向にぐるぐるまわしてしまう私には本当にありがたいです!
奈良の方って親切だなぁと奈良に来るたびに思うのですが、案内板までも新設ですよね。
宮滝の史料はこちらが詳しいです。
HPまで親切…。嬉しいですね。
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