見出し画像

奈良・等禰神社【取材旅行2024】

等禰神社(とみじんじゃ)奈良県桜井市

主祭神 (上津尾社)…大日霊貴命(異説として饒速日命)
祭神 (下津尾社右殿)…八幡社(磐余明神 品陀和気命)
  (下津尾社左殿)…春日社(高皇産霊神 天児屋根命)
創建 未詳(延喜式神明帳に記載あり)

社伝には、鳥見山に神武天皇が即位後(神武天皇4年)の春2月、高祖神及びに天津神を祀った場所である霊畤(まつりにわ)であると記載があります。
この祭祀が大嘗祭の初めであるとも考えられているそうです。

地元では「能登宮」と呼ばれていたとも伝わるそうです。

社伝

境内にはいくつもの社が立ち並びます。
こういったスタイルの神社は明治維新後の神社庁の村社掌握による合祀が多いイメージですが、こちらはいかがなのでしょうか?

境内図

まず最初に桃神社、そして猿田彦さんと出会います。

猿田彦神社

桃神社は厄除け…祓戸神のようなイメージで入口にいらっしゃるのかと勝手に推察。

猿田彦さんは導きの神…八咫烏と近しい存在だと私は考えています。
ですので「やっぱり猿田彦さんいるのか~」と妙に納得をしてしまいました。

こちらは実は八咫烏に縁のある神社です。
こちらに参拝しようと思ったのも、こちらの八咫烏の他にはないユニークな姿に驚き「かわいい!」と興味を持ったことがきっかけでした。

八咫烏のお守りストラップ(緑の紐もありますよ)

このお姿!!
元文元年(1736年)に境内から出土した神像がこのようなお姿だったそうで…!?
踊る埴輪のポーズ…。
ゆるキャラのような佇まい…。
いつ誰が作ったのでしょう・・・?

(私の心を鷲掴みにした八咫烏ちゃんとの出会いはこちらのサイト↓)

猿田彦さんにこの度のはじめの一歩ということで、旅の無事を祈願して境内を進むと、右手と左手に道が分かれる分岐にお百度石が。

立派なお百度石

今回参拝した奈良の神社でお百度石をよく見かけました。
今迄も何度も奈良には訪れていて様々な寺社に詣でましたが、こんなにお百度石と出会った記憶がないので、少し驚きました。

お百度詣りは八幡様のイメージが私の中では強いです。
歴史的にも現存する最古の記録が『吾妻鏡』で、文治5年8月10日(西暦1189年)鶴ケ岡に奥州追討の祈祷のため百度参りをした逸話だそうです。

こちらにも八幡様が祀られているので、その所以かもしれませんね。

下津尾神社

こちらがその八幡様と春日の神が坐します下津尾神社です。
お百度石から右手に進みます。
紅葉の緑が眩いです。

上津尾神社

左手に進みますと、上津尾神社です。
社伝によると天照大神が祀られているとのことですが、一説には饒速日命が御祭神であるとも言われているそうです。

こちらは大神神社から3キロほどの距離にあたります。
古代は物部氏の勢力内であったと考えられますので、その祖である饒速日命が祀られていたのかもしれません。
アマテラス勢力下に置かれるようになって、ご祭神が天照大御神(大日霊貴命)となったのでは?と推察。

またアニミズムの時代には鳥見山が御神体だったのでしょう。
その神山を神武天皇が高祖神のための霊畤(まつりにわ)としたという社伝にも合点がいきます。
私は神武天皇の時代には物部氏が大王として奈良を治めていたと考察しております。
物部氏の祀る三輪山と鳥見山はすぐお隣ですので、この伝承は正しいものだと思うのです。
(天津神云々はアマテラス政権下での追記かと邪推)

山を祀っていた宗教観から社を作る宗教観に変わった頃に、大神神社と同様に等禰神社も祭殿が造営されたのではないでしょうか?

鳥見山稲荷社への道

境内にはお稲荷さん、愛宕さん、金毘羅さんなども社を構えています。
次代を経て姿を変えて来たであろう神社の変遷に思いを馳せるのも、神社巡りの一興だと私は思います。


いいなと思ったら応援しよう!