夏目漱石『こころ』を読む 第1回
上巻『先生と私』の第1章になります。
原文を引用し、補足や要約を挟みながら読み進めていきます。
原文を読まなくても、合間の補足と要約を読むだけで話の流れが理解できるようにを心がけて、記事を作成しています。
しかし原文を読むと、夏目漱石という人物が如何に優れた文章力を持っていたかがよく分かります。
人の感情やその場の景色などを表現する言葉一つ一つが、簡潔でありながらも繊細にそれらを表していて、圧倒されます。
ですから、原文も一緒に読んでいただけたら、とても嬉しく思います。
私はその人を常に先生と呼んでいた。
『こころ』は、この一文から始まります。
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私にとって「先生」は、どうあっても「先生」
「先生」という呼び方に思い入れがあるというよりも、その人を表す言葉は「先生」以外にあり得ない、自然と「先生」と呼びたくなってしまう相手なのだということが伺えます。
そしてどうやらこれは、先生と出会った後の私が、自分の記憶を呼び起こしながら書いているものだということが分かります。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。
ここからは、先生と私が出会った地「鎌倉」を訪れることとなった経緯が語られます。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。
先生と出会った地は鎌倉。時期は夏。
当時の「私」は若々しい書生、つまりは大学生だったようです。
鎌倉を訪れるきっかけは些細なことで、友人に誘われたから。
大学生らしく、どうにかお金を工面して鎌倉へ向かったのですね。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
私が鎌倉に着いてから間も無く、私を呼び寄せた友達は「実家に帰ってきなさい」という電報をもらいます。そこには、「母が病気だから」と断られていました。
しかし友達は、それを信じませんでした。
何故ならば、友達は親に、結婚を強いられていたから。
本来ならば、夏休みは実家へ帰るべきだったけれども、どうしても結婚したくな友達はわざと帰省せず、東京の近くで遊んでいたそうです。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固〈もと〉より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
友達は私に「どうしよう」相談してきます。
相談されてもどうしたらいいかなんて、私だって分からない。
けれど、もし本当に母が病気ならば、帰るべきなのは明白です。
結局友達は帰省することになり、私は鎌倉に一人、取り残されることとなります。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
夏休みの終わりまで、まだだいぶ日数があります。もちろん帰ってもよかったのですが、私は結局、鎌倉に残ることを選びます。
元々友達と一緒に泊まるはずだった宿は、貧乏学生には丁度良いところ。
ひとりになったとはいえ、わざわざ別の宿を探す必要はなく、そこに泊まり続けることにしました。
私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである。
「先生」と「私」のすれ違った場所は、どんな場所だったのでしょう?
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
しかし、その宿の立地はあまり良くありません。ビリヤードやアイスクリームのような洒落たものが欲しければ、だいぶ遠くまで足を運ぶ必要があります。
それにもかかわらず、個人の別荘はたくさん建てられています。
そこは、海には近く、海水浴をするにはとても便利な立地なのでした。
私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中に裹〈つつ〉まれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね廻るのは愉快であった。
海には、避暑に来た人がたくさんいました。時には、海の中が銭湯のように、人でいっぱいの日もありました。
賑やかで明るい雰囲気の中でひとりぼっちの私は毎日、海水浴をしたり、砂浜で寝そべったりして遊びました。
私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋が二軒あった。私はふとした機会からその一軒の方に行き慣れていた。長谷辺に大きな別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹〈しお〉はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。
そんな人で溢れた場所の中から、私は先生を見つけ出したのです。
海岸には、茶屋が二軒ありました。茶屋には共同の着替え場が備わっており、私のように別荘を持たない避暑客は、共同の着替え場を利用します。
そこでは、茶を飲み休憩する他に、海水着を洗濯させたり、井戸水で体を洗ったり、持ち物を預けたりができます。
私は海へ入る際、必ず、その茶屋へ持ち物全てを預けることにしていました。
第1章はここで終わりです。
第2章ではいよいよ、私が先生とすれ違います。
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青空文庫より
夏目漱石『こころ』(新字新仮名)
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