ジングルベル🎶
子供の頃、クリスマスは無礼講だった。鈴を鳴らしてジングルベルを歌おうが、サンタさんが来ると言ってあたふたしようが、叱られることはなかった。成長とともにジングルベルがアヴェ・マリアに取って代わられることはあっても、たらふくケーキを食べられるお祭りだった。
学生時代に教会の門を叩いた。以降、クリスマスは敬虔かつ厳かであるべき聖夜に変わった。家族でケーキを囲むことはなくなり、代わりに教会の奉仕活動に明け暮れた。
「教会で働く暇があったら家の手伝いをしたらどうだ」との父の叱声は聞き流した。ただ「キリスト教だろうが仏教だろうが神はひとつだ」との言葉は胸に深く刺さった。
教会に通う人の中には、クリスチャンご一家もあれば、信者のお母さんが礼拝に参加する間、お父さんが赤ちゃんをおんぶして外で待っておられるご家庭もあった。その時、信仰のために家族にそこまで負担を強いることは私にはできないし、したくないと思った。やがて自身も家庭をもつと、次第に教会から足が遠のいていった。
家庭でクリスマスに讃美歌を弾いたことはあった。でも、子供達に信仰を強いることはなかった。それぞれが決めればよいことであって、親といえども子供から選択の自由を奪う権利はないと思った。
いいかげんな自分に信仰を語る資格はないと思うが、それでも信仰を失ったとは思わないだけの図々しさを持ち合わせていた。昨年までは。
次々と子供達が命を落とすガザの状況。武器を輸出する国々の華やかなクリスマス。なすすべもなく過ぎていく日々の中で、心はやさぐれていくのだった。いったい何のための宗教なのかと。
やさぐれ2年目のクリスマス。相変わらずツリーを飾る気力もわかず、かろうじて天井にサンタクロースを吊るした今年、思いがけなく届いたプレゼントを開けた途端にジングルベルが鳴った🎶
そうだった。こんな時代でも、こんな時代だからこそ、子供達のために、なすべきことがあるではないか。
大きく背中を押されて、宅配ボックス内にクリスマスプレゼントを追加。
おまけに友人からの寄贈本もどっさり届いたので、これから新年に向けて本を大幅に入れ替えできそう👌つくづく友達ってありがたい。