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くさってもベンツーその3 恐怖のカーチェイス

落下したバンパーを車内に押し込み、抱きかかえるようにして帰ったからだろうか。日毎にオンボロベンツへの愛着が増してくるから不思議だ。冬の間、保育園の送迎のために凍結した雪上をハンドルを取られながら走るスリルも、ベンツと私の共有体験となって積み重なっていった。

保育園の駐車場付近

河の凍結が溶けてレガッタの練習が再開する頃になると、ベンツは自分の手足同然に感じられるようになっていた。この妙な自信に、雪解けの解放感と帰国まで残りわずかの焦りが加わることで、前所有者の「スピードは出ないので高速や遠出は避けた方がいい」というアドバイスも軽視するようになっていった。

夏の避暑地で有名なケープコッドに出かけたのは6月末のことだった。週末の大渋滞により1時間程の道程に3時間近くを要したが、それでもベンツは持ちこたえてくれた。しかし、これが過信につながった。渋滞のためスピードが出せなくても問題なかっただけだと気づかずに。

ニューヨーク州に住む従弟からタングルウッド音楽祭に誘われたのは、帰国までまもない頃のことだった。米国人と結婚した伯母とは、もう長い間、会っていない。このチャンスを逃せば、おそらく二度と会うことはできないだろう。その伯母が会いたいと言ってくれている。

今とちがってカーナビはまだ普及しておらず、ましてやうちのベンツにそんな機能は搭載されていなかった。日本のJAFにあたるAAA(トリプルエー)に相談すると、行程をラインマーカーで色塗りした道路マップを送ってきてくれるので、それを頼りに出発した。所要予定時間は2時間程度。大丈夫、ケープコッドまで3時間も続けて走れたのだから。だが平面の地図では気づかないこともある。

ベンツの走りが次第にあやしくなってきたのは、山間のフリーウェイ途中のことだった。どんなにアクセルを踏み込んでも、スピードがどんどん落ちてくるのだ。この先も緩やかな上り坂が延々と続いている。すぐに登坂車線に移ったが、それでもスピードが出ないことには変わりない。床まで踏み込んでかろうじて時速30マイル弱(約40㎞)で走っていると、後ろから大型トレーラーがものすごい勢いで近づいてくる。

米国のトレーラーは日本のトラックの2倍ほど

トレーラーの運転手さんになんとかこの緊急事態に気づいてもらおうと、ハザードランプを点滅させながら走ったのだが、それでもミラーに映った小さな点は瞬く間に大きくなって追突寸前まで接近する。

ミラーに映る大型トレーラーの迫力はこんな感じ

これを繰り返しながら目的地に到着した時には、さすがに寿命が縮んだと思った。

NY州の山間の景色

帰路のベンツはすこぶる快調だった。なぜなら下り坂が続いたからだ。伯母に会うのは本当にこれが最後となった。ベンツから私たちへの最後の贈り物でもあった。【最終回につづく】

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