【仏教】親鸞聖人と巫女時代の話
肉食妻帯をした親鸞聖人というお坊さんがいます。
35歳の時に流刑になってしまいます。
師匠の法然上人に勧められての妻帯でしたが、実は他のお坊さんも妻を娶っていたんですね。
ではなぜ親鸞聖人だけが周りから強く非難されてたのでしょうか。
一向専念無量寿仏
阿弥陀仏だけを信じましょうという意味です。
他の一切の仏をも信じてはいけません。
さらに日本人は神道と仏教が混ざった寛容な宗教観を持っています。
神を信じてはいけないという教えは受け入れられなかったのでしょう。
この、考えを広めようとしたために流刑になったとされています。
現在のお寺と神社の関係 巫女視点
明治維新でも神様と仏様の信仰に境戸作ろうと、政府から神仏分離令がくだされましたよね。
私が巫女のアルバイトをしていた時に、お寺のお守りを返納をしようと持って来られる方達が多くいました。しかし、神社では受け取ることができません。
神主さんに聞いたところ、仏様の物は、神道では正しくお返しできないという考えだったようです。
神道と仏教の混ざりは参拝者の御朱印帳を見るとわかります。
お寺と神社の御朱印を同じものに書いてもらっている方がいたり、
かと思えば全国の神社の御朱印をたくさん集めている方も。こういった人にお寺の話をした途端、拒絶反応を示す方がいました。
神道と仏教の混ざりは、残っているような残っていないような、、
神道と仏教が混ざり誰がどちらに参拝してもいいという考え方のように思えますが、実際はその方が育った環境によって決められることが多いようです。
神道だけ、仏教だけ、とか
道端でキリスト教の学校に美少女に通う勧誘されたときも、
ちょっと息苦しさを感じてしまいます。
念仏 < 信心
また親鸞聖人の話に戻ります。
お葬式や、お寺に行った時、
お坊さんに「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽浄土に行けるという話を聞いたことはないでしょうか。
法然上人や親鸞聖人は念仏を唱えるよりもすることが大切だと述べています。
浄土仏教(他力仏教) 他力=阿弥陀仏 他力本願の語源です。今では自分では何もしない人をさす言葉ですが、信じ、祈り続けると、他力(阿弥陀仏の力)に導かれる。という意味のようです。
聖道仏教(自力仏教) 難行苦行に励み、悟りを開こうとする宗派 天台宗[法華経]真言宗[大日経] 華厳宗[解深密教] 法相宗[華厳経] 禅宗などがこれに当たります。それぞれの経典を添えました。
自分の知識と経験から得た教えや考えは皆一人ひとり違ったものになる。
しかし阿弥陀仏を信じる心は皆同じものになる。
と法然上人は悟ったようです。
巫女をした経験は、宗教を勉強しなくてはいけないと強く感じた経験です。
今回紹介した親鸞聖人の本。
とっても易しい言葉で解説されており、初心でも宗派の関係性や親鸞の歴史、法然上人の教えがわかりやすくまとまっている本でした。お勧めです。
以上みったーでした。