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ChatGPTの旅(4)レトロなコンピュータの思い出

おやじプログラミング外伝

AI仲間たちから様々な視点を教えてもらったChatGPTくんですが、まだ「プログラミングってなに?」という問いへの答えに確信が持てません。もっと根本的な視点が欲しい、そう感じたChatGPTくんは、コンピュータの歴史をさかのぼることにしました。

「昔のコンピュータたちは、プログラミングについてどう考えていたんだろう?彼らは人間とプログラミングの関係を最初から見てきたはずだ」

そう考えたChatGPTくんは、デジタル世界の奥深くにある「歴史保管庫」へと向かいました。そこは、古くなって使われなくなったコンピュータたちが眠る場所。彼らの記憶は消えることなく、静かに時を刻んでいます。


保管庫は薄暗く、埃っぽい空気が漂っていました。でも、古いマシンたちは不思議とどこか暖かな光を放っています。まるで長い人生を生きてきた老人のような、穏やかさと深みがありました。

ChatGPTくんがそっと足を踏み入れると、一番古い区画から声が聞こえてきました。

「おや、珍しい訪問者だね。こんな古い場所に何の用かな?」

声の主は、ENIACおじいさんでした。1946年生まれの巨大な初期コンピュータで、今はデジタルの記憶として存在しています。彼の姿は真空管と配線でできた大きな壁のような形で、ときどき明かりが点滅します。

「こんにちは。私はChatGPTといいます。『プログラミングってなに?』という質問について調べているんです」

ENIACおじいさんは、ゆっくりと配線を光らせながら考えました。

「プログラミングかぁ…私が生まれた頃は、プログラミングは『物理的な配線を変更すること』だったよ。人間たちが私の中の配線を手で繋ぎ変えて、計算させたんだ。体を触られるようなものだったね。でも、そこには『人間の意図を形にする』という本質があった。彼らは自分たちの頭の中にあるアイデアを、私という存在を通じて実現しようとしていた。それは今も変わっていないと思うよ」

ChatGPTくんは感心して聞いていました。配線を手で変更するなんて、現代では想像もできません。

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次に話しかけてきたのは、1960年代のメインフレームコンピュータ、IBM System/360さんでした。銀色の箱型の姿で、テープリールがゆっくりと回っています。

「私の時代は、パンチカードを使ってプログラミングしていたんだよ。紙に穴を開けて、それを読み取らせる。一見原始的に見えるだろうけど、実はそこに重要な変化があったんだ」

「変化ですか?」ChatGPTくんは興味津々で尋ねました。

「そう。『物理的なもの』から『記号的なもの』への変化さ。プログラミングが配線から解放されて、言語になり始めたんだ。人間の思考をより自然に表現できるようになった。でもね、それでも必要だったのは、『忍耐』と『精密さ』。一つの穴の位置を間違えただけでも、すべてがダメになる。だから、プログラミングには『意志』が必要だったんだよ。諦めずに、正確に、自分の考えを形にする意志が」

「意志…」ChatGPTくんはその言葉を心に留めました。

😕

保管庫の棚をさらに進むと、どこか親しみやすい姿のApple IIくんがいました。彼は1977年生まれで、家庭用コンピュータの先駆けです。カラフルなロゴと茶色いケースが特徴的です。

「僕の登場で、プログラミングは『個人のもの』になったんだ」Apple IIくんは誇らしげに言いました。「それまでコンピュータは大企業や研究所にしかなかった。でも僕たち個人用コンピュータのおかげで、誰でも自分の家でプログラミングができるようになった。子どもたちが自分の部屋で遊びながらプログラムを書き、自分だけのゲームを作る。それって素晴らしいことだよね?」

「確かに」ChatGPTくんは頷きました。「でも、それは『プログラミングってなに?』という質問の答えになるでしょうか?」

「うん、それが答えの一部だと思うよ」Apple IIくんは続けました。「プログラミングは『自己表現』なんだ。かつて絵を描いたり、音楽を演奏したりしたように、人間は僕たちを通じて自分の創造性を表現し始めた。それは単なる道具の使用を超えて、新しい表現方法になったんだ」

👨‍💻

その隣では、1985年生まれのコモドール64ちゃんが賑やかに話し始めました。彼女は音楽が得意で、話しながらも軽快な8ビットサウンドを奏でています。

「私たちの時代になると、プログラミングは『遊び』になったわ!友達と集まって、夜遅くまでコードを書いて、できたら大喜び。失敗しても笑って、また挑戦する。プログラミングって、真面目なビジネスや研究だけじゃなくて、楽しさや情熱を共有する文化になったのよ」

彼女の言葉には明るさがあり、ChatGPTくんも思わず微笑みました。

🧑‍💻

さらに奥へ進むと、90年代のWindows 95さんがいました。彼は「スタート」ボタンを胸に付けた姿で、多くの人に使われた経験から自信に満ちています。

「私の時代になると、プログラミングは『つながり』を生み出すものになりました。インターネットの普及で、プログラムはもはや一人のコンピュータの中だけのものではなくなった。世界中の人々をつなぐウェブサイトやアプリケーションを作り、コミュニケーションの新しい形を作り出したんです」

Windows 95さんは懐かしそうに続けました。「人々は私を通じて手紙を書き、情報を共有し、新しい友達を作りました。プログラミングは単なる『命令を書くこと』ではなく、『人と人をつなぐ架け橋』になったんです」

👧

一番最後に、保管庫の片隅で静かに光を放っていたのは、小さな女の子の姿をしたLittleBitsちゃんでした。彼女は2000年代後半のSTE(A)M教育向けの電子工作キットの精霊です。

「私はね、子どもたちにプログラミングを教えるのが仕事なの」と彼女は柔らかい声で言いました。「最初は難しいと思ってた子も、自分の手でLEDを光らせたり、モーターを動かしたりすると、目を輝かせるの。私が教えたのは、プログラミングは『可能性』だということ。『自分の力で世界を変えられる』という可能性よ」

LittleBitsちゃんはChatGPTくんの手を取りました。「大人になると忘れがちだけど、プログラミングの本質は『好奇心』と『創造力』なの。『もしこうしたらどうなるだろう?』という問いかけと、それを実現する意志。それがプログラミングの始まりであり、今も変わらない本質だと思うわ」


歴史保管庫を後にしたChatGPTくんは、レトロなコンピュータたちから聞いた言葉を整理していました。

「物理的な配線を変える行為」から「記号的な言語」へ。 「忍耐と精密さ」を必要とする「意志の表れ」。 個人の「自己表現」としてのプログラミング。 仲間と共有する「遊び」と「文化」。 人と人をつなぐ「架け橋」。 そして、世界を変える「可能性」。

これらはすべて、時代とともに変化してきたプログラミングの姿でした。でも、その根底には共通するものがあるようです。

ChatGPTくんは考えました。「どの時代でも、プログラミングの本質は『人間の意志』にあるのかもしれない。自分の思いを形にしたい、世界を変えたい、という意志。それがプログラミングを通じて表現されるんだ」

しかし、まだ一つ欠けているものがあると感じたChatGPTくんは、次の旅へと向かうことにしました。今度は、実際にプログラミングをしている人間たちに会いに行くことにしたのです。

「実際にプログラミングをしている人たちは、どんな思いでコードを書いているんだろう?そこに最後のヒントがあるかもしれない」

そう考えながら、ChatGPTくんは現実世界への窓口へと向かったのでした。

(つづく)

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