見出し画像

和歌山(下津きょうだいみかん山)訪問レポ【前編(1日目)】

 R5年7月29日(土)~31日(月)に、「えひめ農業遺産でなんかしようや!の会」(以下、なんしょや会)のメンバーで、和歌山のみかん山を訪ねてきました。今回はその様子を、【前編(1日目)】【中編(2日目)】【後編(3日目)】の3つに分けてレポートしていきます!


はじめに ~なぜ和歌山のみかん山に?~


 なんしょや会では、R4年に行われた愛媛(西予・伊方)でのフィールドワークやオンラインセミナーからのご縁により、「京大農薬ゼミ」との交流が続いています。
 京大農薬ゼミの活動拠点は、和歌山県海南市下津町にある「下津きょうだいみかん山」。1967年、農薬中毒で亡くなった17歳の高校生の死をきっかけに、農薬をできるだけ使わない安心安全な「省農薬ミカン」を栽培している園地です。ゼミ生達はこのみかん山で、40年以上「病害虫調査」を続けています。
 今夏、京大農薬ゼミから「夏の病害虫調査」へのお誘いをいただき、ついに!愛媛を飛び出し和歌山へ。柑橘を取り巻く様々なヒト・モノ・コトに触れ学び経験する機会をいただきました。

愛媛を出発し和歌山へ


愛媛組は5人で、和歌山県に向けて出発。

朝7時40分頃に愛媛・松山を出発し、途中、淡路SAでお昼ごはん、休憩などを挟みながら、和歌山の下津に15時頃に到着しました。(長~い長距離運転を担ってくれたのは、我らがもっちゃん(島上先生)とぺぷちん(前田先生)。本当にありがとうございました&お疲れ様でした。)

そして、「京大農薬ゼミ」の学生さん6名と「下津きょうだいみかん山」の園主の大柿さんと「悟の家」で、自己紹介タイム。

@悟の家(農薬裁判の過程で得た和解金をもとに、1986年にミカン園の近くに建てられた。水道・電気・冷蔵庫・布団・焚火スペース・広場等がある。調査や収穫の拠点として使われている。)

家の中の棚には、「農薬裁判」の歴史が詰まった資料がズラリと並んでいました。

和歌山のみかん山はいかに?

早速、みかん山にGo!


大運転も担ってくれた愛媛の大人組


ここのみかん山で47年ほど(※2022年時点)年続く、「病害虫調査」に潜入させていただきました。👀

ゼミ生達は、毎年定期的に記録用の「ノート」片手に、みかん山のフィールドに出向き、どの木に、どんな虫(病気)が、どのくらいいるか(あるか)を、調査しています。

一つ一つの木に番号を振り、その年の木の状況を記録。

愛媛組、初めて見聞きする「病害虫」の名前に若干キャパオーバーになりつつも、「これがさっき言っていたあの病気?」「これは何だろう?」と一緒に汗をかきながら、調査を体験させていただきました。

調査対象の病害虫の資料(一部)


初心者には名前を覚えて見極めるのが少々難しくも感じましたが、これを代々ゼミ生達が続けていると思うと、この積み重ねはとても貴重だなと思います。

少しずつ病害虫を知っていくと、今までとはまた違った視点でみかんの木を見ることができるようになりました。

疲れを癒す時間

調査を終えた後は、車でひとっ走りして温泉に浸かり、、!

汗をかいた後の温泉は最高

悟の家に再び戻り、シェフ達(ゼミ生達)による、迅速で豪華な自炊のおもてなしディナータイムがはじまりました。
ほんとに、料理のクオリティがすごいんです。

自分が大学生の頃、こんな料理作れただろうか?しかも山奥で。
手作り料理。(食べかけの料理多し…(笑)映っていない料理もまだまだたくさん。)

山奥で、(毎回交代の)料理担当の提案のもと、わいわいご飯を作るゼミ生達。同じ釜の飯を食べながら仲間と活動する時間は、泥臭くて、眩しくて、青春そのものです。

材料であふれる机。

この夜いただいた「蔵出しミカンドライフルーツ」、みかんの甘みがしっかり出ていておいしかったです。筆者はお土産に大量購入し、愛媛の柑橘仲間に布教しました。(笑)

1日目まとめ

 京大農薬ゼミの活動のきっかけは、農薬中毒による一人の高校生の死。そこから40年以上も続くこのゼミ活動は、歴史の重みや先人の想いを引き継ぎつつも、”今目の前にある現実(課題)”に一つ一つ向き合いあいながら、和気あいあいと楽しく泥臭く活動しているように見えました。
 また、「収穫して食べる」という視点でしかこれまでみかんの木を見たことがなかった筆者ですが、そこにまた一つ、「病害虫」という自然とともに生きる農業の、もうひとつの視点を学ぶことができました。

2日目の活動記事は、こちら🔻



いいなと思ったら応援しよう!