歴史学の面白さについて(ダーントン『猫の大虐殺』を題材に)④:ザ・パスト・イズ・ア・フォーリン・カントリー
引用文は、本のタイトルにもなっている猫の大虐殺について記述している第2章「労働者の叛乱:サン・セヴラン街の猫の大虐殺」からの一節です。
猫を飼っている方には、だいぶショッキングなタイトルですが、これは、18世紀のパリで起こった事件で、二コラ・コンタという印刷工が徒弟時代を回顧した物語に記録されています。
物語をかいつまんで言うと、印刷工場で働いていた駆け出しの印刷工の2人が、劣悪な職場環境に腹を立てて、親方の奥さんが飼っていた猫を含めて多くの猫を捕まえて殺して、ショックを受けた親方夫妻の様子を後日物まねして笑い話にしたというお話です。
何がそんなに彼らにとって面白かったのでしょうか?
にわかには、分かりません。
しかし、ダーントンは、引用文にあるように、この今の私たちには「分からない」という感覚こそが、歴史を理解するうえで大切だと説きます。
過去の人々を理解するための前提となるアプローチとして、2つの考え方があります。ひとつは、「人間には時代を超えても変わらない部分がある」という考えです。もうひとつは、「人間は時代時代で異なる精神世界を生きている」という見方です。
もちろん、どちらかが正解というよりは、共通する点と異なる点の両方があるとお茶を濁すような回答になりますが、歴史学では、後者の視点が重要になります。
それは、アナクロニズム(時代錯誤)という罠から逃れるためです。アナクロニズムというのは、昔の人々が行っていたことをその背景から切り離して現在の視点から解釈することです。
この物語の例で言えば、猫の大虐殺は、文明化以前の野蛮な人々が動物虐待をしていただけと解釈することになります。
それに対して、ダーントンは、この物語を、工業化以前の親方と徒弟たちの関係性や猫という動物の18世紀フランス社会におけるシンボル性というコンテキストの中に位置付けます。
過去を生きた人々の視点から彼らの行為を解釈しようと試みることが、歴史学の面白さのひとつです。
私たちが約300年前の人々の世界観をすぐには理解できないように、私たちの考え方や行動も約300年後の歴史家にとっては、不可解なものになっているかもしれません。
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