【歴史その3】「朝、目覚まし時計で起きる」にも歴史がある
一日の始まりは
一日の始まりに行うことは何ですか?
多くの人にとって、それは目覚ましアラームを止めることだと思います。
私も、毎朝6時にスマートフォンのアラームをセットしています。そして、何度かスヌーズ機能を経た後、ムクっとベッドから起き上がります。
この何気ない行為とともに一日が始まるわけですが、もちろんこの出来事にも歴史性があります。個人的なレベルでも、子供の頃は文字通り時計のアラームで起きていたのですが、今ではスマートフォンのアラームになっています。
そういった時計自体の技術的な変化もありますが、もっと深い意味で時間によって生活を管理する(あるいは、時間によって管理される)生き方自体にも歴史的な経緯があります。
そう、「朝、目覚まし時計で起きる」には、歴史があるのです。
時間と近代
時間は常に存在しています(哲学的、あるいは物理学的な厳密な意味というよりは、生活感覚として)。そして、それを把握する方法やそれに基づいて行動する生活も大昔から人間は営んできました。
しかし、今日の私たちの時間意識の基になっているのは、近代世界(大雑把に18世紀後半くらいから20世紀半ばまでとしましょう)における時間感覚と思われます。
その特徴として、以下のようなことが言えると思います。
第一に、それまでの日時計や水時計などの装置から機械時計になり、より正確に時間を把握することができるようになりました。また、教会やお寺などにしか時計がなかった時代から、時計の小型化により、個々人が時計を持てるようになりました。
第二に、その時計の技術的進化に伴って、人々の時間意識も、日の出や日の入りを基準とした大雑把なものから、より規律正しい時間管理へと変わっていきました。
第三に、地域ごとに存在していたローカルタイムから、鉄道網の発達などにより、統一的なスタンダードタイムへと変わっていきました。日本においても、1873年(明治6年)にそれまでの不定時法という時刻制度から現在の24時間制の定時法へと移行しました。
第四に、時間管理のあり方と近代において発達してきた資本主義との関係です。「時は金なり」という考え方が、資本主義においては中心にあります。それに基づき、仕事の時間管理が徹底して行われます。
以上のような特徴は、現代の私たちにとって、良くも悪くも、とても馴染みのある感覚です。なので、この歴史的変化を当然のことと思いがちです。
しかし、このような近代を軸とした大きな歴史の展開は妥当なのでしょうか?このことをクリティカルに考えるために、近代以前の時間の意味や近代世界における時間の複数性について見ていきたいと思います。
近代以前における時間の意味
まず、近代以前の人々は本当に時間に無頓着だったのでしょうか?
ここで、16世紀のアウグスブルクを生きたフェイト・コンラート・シュヴァルツ(1541~1561)という青年にとって、時間がどのような意味を持ったかを見てみましょう。
アウグスブルクは現在のドイツにある都市で、フッガー家という大商人が拠点を置いた場所としても有名です。シュヴァルツの父は、まさにフッガー家に会計士として仕えた人物でした。なので、シュヴァルツの家庭は裕福で、彼はイタリアへ留学にも行っています。
そんな彼は、1561年に『小さな服の本(Little Book of Clothes)』という冊子を製作し始めました。この冊子は、ライフステージごとにその時々の服装を纏った自らの姿を画家に描かせるものでした。
その中に現れる時間に関する記述が、とても目を引きます。まず、シュヴァルツは冊子の最初で、その始まりについてこう記載しています。「1561年1月2日の午後2時に始められた。」また、その時に彼は生まれてから「19年、68日、6と1/2時間」が経っていました。とても詳細に時間を記述していることに加え、出生の時刻を厳密に把握しています。
特に出生の時刻は重要で、その時の天体の状況(惑星や星の位置)がその人物の一生を決めるとされていました。星占いというと、今日では当たるも八卦当たらぬも八卦のようなものになっていますが、初期近代のヨーロッパでは、占星術は、今日の科学のような体系だった知のパフォーマンスでした。
このように出生の時刻に敏感だったシュヴァルツの冊子の中には、父から貰った機械時計を首から掛ける姿や壁掛けのカレンダーも描かれています。彼にとって、時間は自身の人生を方向付けるうえでとても大切なものでした。
近代世界における時間の複数性
次に、地域ごとのローカルタイムから統一的なスタンダードタイムへの移行など時間の近代化は、人々にスムーズに受け入られたのでしょうか?19世紀後半から20世紀前半のボンベイ(インド)とベイルート(レバノン)における人々の時間意識を見ていきたいと思います。
まずは、ボンベイからです。当時のボンベイを含むインドは、イギリスの植民地でした。そして、そのイギリス主導でインドにおける時間の統一化が図られました。
しかし、1881年から1905/06年にかけて、グリニッジ標準時間に基づくインド・スタンダードタイムの導入に対して、ボンベイの市民たちは反対活動を行いました。彼らにとって、スタンダードタイムの導入は、近代化のためというよりも、イギリスによる植民地支配を強固にするための方策と映りました。時間の捉え方は、とても政治的なイシューでした。
次に、ベイルートです。現在はレバノンの首都であるベイルートは、当時はオスマン帝国の大きな都市のひとつでした。19世紀後半のオスマン帝国は、最盛期を過ぎ、ヨーロッパの大国の脅威を感じ、「タンジマート」と呼ばれる西洋化への改革を進めていました。
ボンベイのように植民地でなかったベイルートでは、スタンダードタイム導入のための反対活動は起こりませんでした(1917年に正式に導入されました)。その代わり、ベイルートの人々は、複数の時間の中に生活していました。様々な民族や宗教が混在していたベイルートでは、西洋式の時間とアラブ・トルコ式の時間が存在していました。
時間にどんどん追われて
ここまで、時間の近代化の歴史が、それほど単純ではなかったことを見てきました。
とはいえ、近代的な時間意識は、現代においてさらに強まっているような気がします。そのことは、「早いこと」と「効率的であること」を私たちが疑いの余地なく「良いこと」であると受け入れていることからも分かると思います。
街を見渡せば、ファストフードやファストファッションのお店に囲まれ、タイムパフォーマンスという言葉も広まってきました。さながら、理由も分からず、タイムを競われている競走馬のようです。
その結果、私たちは分刻みのスケジュールや仕事の締め切りに日々追われています。昔は牧歌的で良かったと聞きますが、本当に良かったかはともかくとして、時間は戻りません。
いずれにせよ、生きることと時間は切り離すことができないようです。
<参考文献>
角山榮(2014)『時計の社会史』吉川弘文館
西本郁子(2006)『時間意識の近代:「時は金なり」の社会史』法政大学出版局
Hanß, Stefan (2017) “Timing the Self in Sixteenth-Century Augsburg: Veit Konrad Schwarz (1541-1561).” German History Vol. 35, No. 4, pp.495-524.
Ogle, Vanessa (2013) “Whose Time Is It? The Pluralization of Time and the Global Condition, 1870s-1940s.” American Historical Review Vol. 118, Issue 5, pp.1376-1402.
Thompson, E. P. (1967) “Time, Work-Discipline, and Industrial Capitalism.” Past & Present Vol.38, Issue 1, pp.56-97.
<次回予告(11月30日公開):「記録を残さなかった男」にも歴史がある>
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