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ワタシ的「多様な愛」の捉え方

はじめに…

私はノンバイナリージェンダーですが、自分に対するホモフォビアにしばらく苦しみました。それは、「異性愛は通常、同性愛は異常」という社会的価値観を無意識に受け継いでいることが原因であると感じました。

その価値観を意識的に変えるべく、「多様な愛」についてどのような捉え方をすれば、ストンと腑に落ちるかを日頃から考えています。その中で自分なりの解釈を得られた気がするので、それをアウトプットしようと思います。

✳︎あくまで一個人の考え方なので、「ふーん、そういう考え方もあるかもね。」 ぐらいの軽い気持ちで読んでいただければと思います。


「愛」の差異はどこにあるのか

冒頭で挙げた社会的な価値観である「異性愛は通常、同性愛は異常」。これは何を根拠に作り上げられた考え方なのでしょうか。

私はそれが「種の保存」に貢献するか否かが判断基準になっていると思います。種の保存、即ち子孫繁栄においては生殖が必要不可欠であり、その生殖の役割を担う異性間での愛は納得されます。

一方で同性では種の保存は不可能なため、同性間での愛は納得されません。歴史・文化的に形成された同性愛嫌悪もルーツはここに辿り着くのではないかと思います。つまり、生物学的な判断基準によって愛の正当性が判断されていると思うのです。


人間と他の生物の違い

しかし私たち人間は、本能に従って生きる他の生物と違って、自己意識や心、知性、理性といった精神的な要素を持ち、自由意志で生きています。精神が存在することによって、各個体ごとに選択肢のある生き方が可能になっています。

内在していることが明確な意識や心ですが、未だ科学的にその存在は証明されておらず、全貌が明らかになっていません。これは意識や心を、単に脳や神経細胞といった生物学的、または唯物論的観点からでは説明することができないためであると思います。

私は「愛」もこの意識や心と同じ、もしくはそれ以上の現象であると考えています。愛も、意識や心と同様にその全貌が明らかになっていないのではないでしょうか。よって、先ほどの「種の保存への貢献」といった生物学的観点では、そもそも愛自体を説明することができないので、「正しい愛」の判断基準にすることもふさわしくないのではないかと思います。


「多様な愛」をどう捉えるか

私はこの考え方によって、「多様な愛」についての社会的な価値観を信じ続けることに疑問が生じました。そこで、「多様な愛」について肯定的な新しい捉え方(価値観)を模索しました。

結論としては、「愛は高次元的なものである」と捉えることです。投影図を例にして説明します。

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上のイラストにおいて、投影図は3次元の円柱を、次元を下げた2次元の円と長方形を使って表している図になります。この「次元を下げる」という表し方が高次元でより重要になります。

3次元までは形をイメージすることは可能ですが、4次元以上の物体ともなると頭で描くことはできません。投影図のように次元を下げることで、高次元の対象を直接イメージすることができなくとも、対象を理解する助けになるのです。

「愛」についても、それ自体が3次元的には直接理解することのできない高次元的な対象と仮定すると、私たちの今現在目の当たりにしている「愛のカタチ」が3次元まで次元を下げた投影図的な「愛」の現れであると私は思います。

円柱が投影される方向によって円や長方形となって表されるように、異性間の愛も同性間の愛も、高次元的な愛をどの方向から3次元に投影したかの違いでしかないと思います。

恋愛だけでなく、家族愛、友愛、師弟愛、人類愛なども愛を投影する方向の違いからくるバリエーションであると思います。この3次元に存在する全ての愛が高次元の本質的な愛を表していて、それ自体を理解する助けになるのではないでしょうか。


おわりに

本来物事はニュートラルで、それをポジティブとするかネガティブとするかは自分の採用している価値観が作り出していると思います。どの価値観を選択するかで自分の人生の見え方も変わるはずです。

今回、「愛」の考え方を変えることで、「多様な愛」について肯定的な価値観を選択することができたと思います。地球上のすべての「愛のカタチ」が投影する方向の違うだけで同じ一つの愛を表しているのではないでしょうか。

私たち一人一人全員が、本質的な愛を理解するために欠かすことのできない大切な要素であると思えば、周りの愛に感謝し、今日も自分の愛をたくさん表現していこう!という気になります。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。







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