判断基準を事前に持っておく。

ヒロシさんの『働き方1.9』を読んだことについては以前書きました。
その本の中で、「最悪の状況を想像して天秤にかける」みたいなことが書かれていましたが、ぼく自身も選択肢があるときはこれを行います。
そのときにやっておかなければならないのが、自分にとっての最悪な状況を常日頃から考えておき、その答えを持っておくことです。

なぜこんなことをしなきゃならないかというと、選択肢を選んでいるとき、人は自分にとって都合がいいものを選びやすいからです。
そのため、選択肢を与える人がいる場合、大抵は「相手にとって聞こえがいい」ことを言うもんです。
そうして、選ぶ本人は自分にとって都合のいい選択肢を選んでいるつもりでも、実は相手にとって都合がいいものを選ばされていただけだった、ということになるからです。

こういうとき、人はよく「騙された」と言うもんですが、ぼくの考えでは、「どちらも悪い」です。
正確に言えば、TPOによって悪い割合は変化しますが、ただし、大前提としてコミュニケーションにおいて一方的に悪くなる側がいるというのもおかしな話です。
これは何も性善説や性悪説という話ではなくて、相手の話していることを「聞き取り」「解釈」し、「判断」する能力があるかどうか、なのです。
そこで、「自分にはそんな能力がない」と言う人がいたら、それは弱さを売りにしすぎです。
「人は弱く、他の人と協力しあって生きていかなければならない生き物です」という類いの説教とは違う種類の弱さです。
というのも、他の人と協力しあうためには、自分も相手に何かを与えなきゃ「協力しあう」にはなりません。
与えるのがお金であれば「サービス」になりますし、他の人ができないことや苦手なことを肩代わりするのなら「協業」になるでしょう。
仕事であってもなくても、これが協力というものです。
でも、一方的に弱さを売りにして、頼ってばかりいるのは、相手を利用しているだけです。

つまり、「騙された」と言う人って、その分、誰かを利用し続けた人が、別の誰かに利用されたということでもあるのです。

ぼくも誰かに利用されたという経験はあります。
むしろ、山ほどあります。
仕事で言えば、ヒアリングや初回ミーティングまでして、そのまま相手がいなくなる、ということもありました(初回ミーティングにはコーチングやカウンセリングまで含まれているので、この場合は費用を頂戴しますが、それでも微々たるものです)。
事務所に勤務していたときは、当時の社長案件でロゴまで作らされて、そのままバックれられるということもありました(今でも覚えていますが、年末の忙しい時期です。しかも、当時の社長はぼくらに謝罪もしませんでした)。
これが友人であれば、相談だけして、言いたいことだけ言って、ケロっといなくなるなどです。
情報だけ引き出していく、というのはけっこう多いパターンです。
仕事であってもなくても、ぼくのコストがかかっているのです。
これをちゃんとわかっている人って、やっぱり今の日本には少ないです。
けれど、相手のコストがちゃんとわかっている人って、ちゃんと仕事になるんですよね。

ぼくは20代の頃、写真家としてめちゃくちゃな数の展示をしていました。
そのほとんどに来てくれた友人がいるのですが、やっぱりね、そういう人ってちゃんとした仕事を与えてくれたり、ちゃんとした人を紹介してくれるんです。
だから、ぼくはその人の仕事って、誰の仕事よりも優先させます。
全人生をかけていると言ったら大げさだけど、家族ごと面倒をみるつもりです(頼りない自分だけど)。

そういう人がいるって、やっぱりね、自分もちゃんとしようと思います。
色んな人に利用されてきたけれど、騙されたというような経験がないのは、相手の話をちゃんと聞いて、解釈して、自分にとっての最悪な状況を元に判断して行動しているからだと思うんです。
その経験をいつもすることで、ちょっとずつこの能力の精度が高まるのです。
ぼくも、強さを手に入れたとはまだまだ言えないですが、弱いままでいいとは思わないです。
強くないと、誰かに協力するなんてできないんです。
助けたい人がいるから強くなるとは格好つけすぎだと思うので、「一緒に遊びたい人がいるから強くなる」、そういうことでいいんじゃないでしょうか。

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