先出し、後入れの考え方。

「とりあえずはじめてみたらいい」ということは往々にしてある。
こうやって毎日ブログを書いていて、毎日他人が面白がるようなネタがあるかと言ったらそんなことはない。
むしろ、他人にとってみたら、つまらないようなネタしかないとさえ思っている。
じゃあ、他人に役立つネタを載せるかと言ったら、そんな縛りを設定しても、ネタが尽きるのは目に見えているし、そういうネタは似通ってくるものだから、他の人に任せてしまえばいい。
むしろ、役立つかどうかなど、その状況になってみないと実はわからないものであり、色んな人が語っている武勇伝も、うまくいった結果に対しての後付けだ。

「たまたま運がよかっただけ」というのはよくあるし、運の要素がまったくないことなど、実はない。
だから、貢献度を語っている内容よりも、「運がよかった」と言える人の方が、ぼくは好感を持って話を聞ける。
だが、運だけで何度もうまくいくはずもなく、その人ならではの失敗からの学びなどもあるはずだ。

今の世の中の動きを見ていると、「成功する方法」よりも「失敗の確率を下げる方法」の方が好まれるようだが、これも先述した通り、当たり前の話なのだ。
ちょっと屁理屈になってしまうが、どれだけ失敗の確率を下げたところで、成功するかと言ったらその確証はない。
失敗の確率を下げる方法を売りにしている人は「成功しやすいかもね。だって、失敗の確率が下がっているんだから」ということを言いたいのかもしれないが、実はそこには何の相関もあるわけではない。

というのも、物事には成功でもなければ、失敗でもなかったな、ということもあるからだ。
むしろ、「プラスもあったけれど、まぁ、マイナスもあったか」みたいなことが、ほとんどだ。
その中で、どこに着眼し、どこから学び、どこに自分の気持ちを落ち着かせるかが、大事になってくる。
 
ギバー的な考え方になってしまって恐縮だが、先に与えて、その後、得るものがあったとしても、先に与えたものはコストになる。
そして、世の中のすべては、先に与えるから得るものがあるのだ。
お店で考えるとわかりやすい。
何かを仕入れてから、仕入れた物を売るというのが基本だし、先に注文を受けてから仕入れてくるという方法もあるが、この方法で安心を得るためには、仕入れ先を最初に決めておく必要がある。
この場合、仕入れ先を決めるのにも、自分が注文をするという信用を与えておかないと、向こうの都合でサービス内容が変わってしまうものだ。
物ではなく、考えることが仕事だとしても、依頼人になる人に対して、先に信用を与えておかないと、仕事にはならない。

つまり、物の有無は関係なしに、何かを得ようと思ったら、先に何かを出さないと入っては来ない仕組みになっている。
器の容量が大きければ、何でも入るような気がするが、器を大きくすることを先にしておかなければ、何を入れることもできない。

こうやって考えると、「先出し、後入れ」が物事の基本であり、そういう意味では失敗とは、先出しだけで終わった場合だろうか。
だが、それはそれで、「先出しだけで終わってしまった」という学びを後入れできる。
そう思えば、やはり先出しだけで終わるということもなく、やはり、どこに着眼し、どこに学び、どこに自分の気持ちを落ち着かせるか、ということになってくる。
だから、「とりあえずはじめてみたらいい」というのは、先出しの考え方なんだな。
ほら、とりあえず、今日の分が書けたでしょ。

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