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ミラノのガレリアの謎
ミラノのガレリア(アーケード)の建設は、1865年に始まり、1877年に完成しました。初代イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名付けられています。
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当時の斬新な建築物を代表する鉄とガラスの構造。中央に大きなドームを備えた十字形の形状は、ルネサンスの影響を受けた新古典主義建築の一例です。このガレリアの特徴の一つは、モザイクの床。
ドームの下には、イタリアの重要な四都市を表すトリノ、ミラノ、フィレンツェ、ローマの紋章を描いたモザイクがあり、これは有名な話なのですが、伝統的にトリノの紋章である「雄牛」の”大事な箇所”に踵をつけて回ると幸運が訪れると言われています(毎日大勢の観光客の踵に踏まれて凹んでしまっている・・・)
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この素晴らしいガレリア・プロジェクトを担当した建築家は、ジュゼッペ・メンゴーニ。彼は新しい時代のミラノを代表し、そしてイタリアの近代化のシンボルとなるような美しく革新的な建物を設計しようとしたのです。
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ジュゼッペ・メンゴーニはボローニャ大学卒のエンジニアであり、芸術学校へも通い、アートにも造詣が深い多才な人物でした。
イタリア統一前の1859年、ミラノが大聖堂前のガレリアを計画したとき、イタリア中から176人の建築家や設計士が応募しましたが、そのコンペ優勝者がメンゴーニでした。メンゴーニはパリなどの屋根付きの商業的アーケード(パッサージュ)にインスピレーションを受けて、ミラノにさらに壮大な商業施設と文化と美しさを組み合わせた空間を発案しました。
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この計画は1861年に初めて提案されましたが、斬新なものは常に批判される運命にあります。メンゴーニのガレリア・プロジェクト図にもミラノ当局からの抵抗がありました。メンゴーニが最終的に建設工事開始の承認を得たのはイタリア統一後の1865年になってからでした。
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そこで初代イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の名前を冠したガレリアの工事が始まり、約12年の歳月をかけて1877年に完成しました。
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そして、とうとうヴィットリオ・エマヌエーレ2世にお披露目すると一大イベントになった1877年12月30日、事件は起こりました。
なんとメンゴーニ氏が、ガレリアの最終チェックをしているとき、ドーム部分の50メートルの高さから落ちて亡くなってしまったのです!
12年もの歳月を費やし、とうとう国王へのお披露目というときに、本当に足をすべらせて落ちてしまったのでしょうか?12年間もずっと現場で建設に携わっていたのに?
もしかしたら・・・誰かに落とされてしまったのでは?
いや、もしかしたら自ら落ちたのかもしれない・・・
などなど当時から色んな噂が飛び交いました。
そんな噂が出るのには理由がありました。
誰も彼が落ちたところを見ていなかったこと、そして斬新なガレリアのデザインに反対派の意見・批判がかなりあったこと、それに対してメンゴーニは精神的に疲れていたこと、また、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の体調がその頃あまり良くなく、お披露目の式にはもしかしたら出席できない可能性があり、メンゴーニは「自分の作品が認められていないのだ」と悲観的になっていたこと・・・
自殺したのか、他殺なのか、それとも足をすべらせただけなのか・・・
約150年経った現在も、理由はハッキリ分かっておらず、相変わらず謎につつまれています。
しかも、ガレリア完成10日後には国王もローマで亡くなったので、実物のガレリアを国王はおそらく見ていないでしょう。
こうして見ると、美しいけれど少し物悲しいミラノのガレリアなのです。
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今もミラノのガレリア入り口には建築家ジュゼッペ・メンゴーニの
プレートがはめ込まれ、1877年12月30日にここで亡くなったと書かれています。