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屋根のない美術館
長年その街に住んでいても、なかなか⾏く機会のない、その土地の記念墓地。⾜を踏み⼊れてみたら、驚くほど立派で驚きました。
建築家カルロ・マチャキーニが1863年から1866年にかけて建設した、イタリア統 ⼀後のミラノにおける重要な建築物の⼀つです。
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ナポレオンはそれ以前にミラノ共同墓地を建設しようとしていましたが、彼の「墓地」に対する考えはいたってシンプルで、彫刻等の装飾などは⼀切省いたものだったらしいのです。
しかし1861年に念願のイタリア統⼀を果たし、多くの犠牲を払ってきたミラノでは、それまでのイタリアの歴史を必要としていました。
そこで建設されたのが、この「屋根のない美術館 」の別名を持つ記念墓地、Monumentaleモニュメンターレです。
エクレッティズモと呼ばれる様々な様式(ビザンチン、ロマネスクやゴシック等々)を組み合わせた建築で、マチャキーニはそれまでのイタリアの歴史を一気に表現しようとしました。
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⼊り⼝すぐの記念廟は名声を得た人々の名声の神殿ファメーディオ(ラテン語famae aedesからの造語)と呼ばれ、最も重要な建物。
そしてファメーディオ内すぐに置かれるのは国民的作家マンゾーニのお墓。彼がいかにイタリアにとって、またミラノにとって、重要な⼈物かが分かります。
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そしてマンゾーニの横には作曲家ヴェルディの胸像。彼のオペラがイタリア統⼀に果たした役割も大きかったのだと考えさせられます。
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そして別の壁⾯を⾒ると「ミラノで活躍した有名⼈」ということでレオナルド・ダ・ヴィンチの名前も刻まれていました。
ミラノの人にとって、ここで様々な有名⼈のお墓や刻まれたネームプレートを⾒る事も、当時は統一されたばかりのイタリア半島の中の「イタリア⼈であること」を⾃覚する上でも重要であったことが分かります。
そして25万㎡に及ぶ広⼤な敷地内は、また芸術家たちの活躍の場でもありました。
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このイタリア統一戦争時に医師として、統⼀後は産科医として有名なラツァッティ医師の⽴派なお墓は、当時の人気彫刻家ヴィンチェンツォ・ヴェーラの作品です。
古代ローマを彷彿とさせる様式で、上に胸像を置き、下に⽣前の活躍を彫り込み、お墓を⾒ただけで故⼈がどういう職業の⼈であったかが、⼀⽬で分かるようになっています。
他にもミラノで名声を得た⼈、当時の名⾨貴族たちのお墓が並んでいて、まるで彫刻美術館のようで圧巻。
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スカラ座の指揮者として有名なトスカニーニも、その家族と共にここに眠っていました。
レオナルド・ ビストルフィ作アールヌーボー様式のエレガントなお墓。
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そしてお⾦に⽷⽬をつけないベルノッキ家のお墓にも圧倒。この中は⾦のモザイクで飾られていました。
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こうしたモニュメントでお墓を飾る事によって、その⼦孫たちは家族のルーツを探り、またミラノ近代史に想いを馳せていくのでしょう。
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またイタリア統⼀において、カトリック教会の権⼒が弱まっていたのもよく分かりました。なんと同じ敷地内 に、ユダヤ⼈墓地と⾮カトリック(プロテスタント)の墓地があり、カトリック⽤の礼拝堂も⼩さく奥まった場所にひっそりとありました。これはイタリアにおいては、なかなか⾒られない光景です。
ある⽼婦⼈が⽴派なお墓の前で⼩さな写真⽴てにそっと⼝づけをしているのを見ました。
ここはミラノの人にとって、今も⼤切な家族のルーツを知る場所なのです。