自分を大事にするとは
さてさて、自分大好き街道を只今整備中の私ですが、
工事が軌道に乗るまでは、なかなか時間がかかりましたよ。
私は一応カウンセラーのまねごともやっていたので、
「自分を大事に」という言葉を、もう、そりゃあ、葵の御紋のようにしょっちゅう使っていました。
スクールカウンセラーでしたので、子供に親に教員にと、
「ゆっくりしてくださいね。」とか「少し休んでくださいね」とか言って、
最後に葵の御紋を出すのです。
「自分を大事にしてくださいね。」
でも、今思うと当時、私自身が私のことを全然大事にできていなかったと思うのです。そんなカウンセラーに葵の御紋を出されても、説得力なかったでしょうね。
その時は30代前半、結婚もして、友人にも恵まれ、金銭的にもゆとりができて、自分としては人生を楽しく過ごしていると思っていました。
中学校教員をしていた20代の頃は、心身ともに疲れ果てていましたので、
教員退職後に復活して元気になった自分に十分満足しているつもりだったのです。
でも今振り返ると、当時の(時々今も)自己評価基準は「人様」であり、
「社会のルール」であったと思います。
私はかなり軽度ですが、発達障害があるのではないかと思っています。
いわゆる普通の人が普通にできることでミスを犯すことが多いのです。
その一つに、勘違いや物忘れの異常な多さがあります。
教員時代はそれでヘマばかりして、怒られることが多かった。
それが染み付いていて、未だにちょっとしたミスや失敗をすると、自分にイラっとします。
例えば、テーブルの端に下に落ちそうなお皿がある、でも大丈夫だと思ってそこにパンを載せる。案の定落ちる、とします。
すると「何やってんだ自分」、「だから私は」と、ほとほと自分が嫌になってしまうのです。
他にも友人たちと一緒にいて、自分が「いつもの明るい自分」のように振る舞えないと、自己嫌悪に陥ることもありました。(←今思うと、なんですけどね。)
カウンセラーとしても、いつも親や教員、スーパーバイザーの目ばかり気にしていて、自分がどう評価されるかビクビクしていました。
クライアントに寄り添うことはおざなりになっていましたね。
ああ、カウンセリングが必要だったのは私であった。
そして以前も書きましたが、子供のいない主婦として家事をきちんとやるべき、とにかく何かしているべきという、無意識の強制が常に働いていました。だから、昼寝も汚い部屋も、そうざいを買ってくることも、「失格」なのです。
でも、私は主婦の仕事は苦手なので、いつも「失格」なことをやっては、
またやってしまった…と自分を責め立てていたのです。
お金をバリバリ稼ぐような仕事をしていれば、大手を振って主婦の仕事は放棄したでしょうね。
でも、そんなふうにならないでよかった。問題の根本を見落とすところだった。
仕事でミスしようと、他人が私をどう評価しようと、たとえお金を一銭も稼がなくとも、私の価値は何ら損なわれるものではない、というこの尊い厳然とした事実。
どうであれ、何であれ、決して自分をけなしてはいけないし、
「自分を大事に」しなくてはいけない、という揺るがぬ真実。
目に見えない、ありもしない「人の目」「社会のルール」という足枷は、
多くの人が生育過程で無意識に嵌めてしまうものでしょう。
でも、自分にダメのレッテルを貼ろうとするものは、すべて捨ててしまおう!そう思えた時から、「自分大好き街道」の整備が加速しつつあります。
なかなか良い気分ですよ。
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