ふと、思ったのですが、 Aさんとトラブルが起きる。 Aさんは嫌われ者だとする。 やっぱり嫌われものなだけあって嫌な人だ、で片付ける。 Aさんとトラブルが起きる。 Aさんは皆に好かれている。 あんなに人気者なら人格者なのかな。私にも悪いところがあるのかも、と悩む。 Aさんとトラブルが起きる。 Aさんの人気具合は分からない。 他の人たちにAさんって、どんな感じ? なんて言って探りを入れる。 嫌われていたら「やっぱりねー」と思うし、 好かれていたら、「私も悪かったのかも。」と
肺炎をやらかしていました。今流行りのやつではありません。アレルギー性の肺炎です。 肺炎を抑えるために30年来飲んでいるステロイドの薬をストップしてみたら、見事に再燃したのです。もう大丈夫じゃないかと思っていたのですが。 このブログを始めたのは、自分の深いところから聞こえてくる声をとどめてみたかったからです。心身は一体。持病があるだけではなく、日頃の疲れやすさ、不定愁訴は、体からのサインではなかろうかと、ずっと思っていました。きっと心もうまくいっていないのじゃないか?そう思
人や物事に腹が立ってしようがない時、 それは自分の中にある怒りを消化しているだけのような気がします。 ある知り合いは、どこに転属になっても、必ず無能な人を見つけて、 自分ばかりが忙しいと文句を言っていました。 別の知り合いは、いつも自分を無能扱いする人に囲まれて悔しがっていました。 また別の知り合いは、家族の一人に長年腹を据えかねています。 ずーっと同じ人に腹を立て続けるも、都度腹をたてる人が変わるも、 同じことだと思います。 要は自分の中に一定量の怒りがあって、それを発
今年の初め、田中邦衛さん、橋田壽賀子さんと相次いで亡くなりました。 天職を若いうちに見つけ、一心にそれを追求した人たちです。 そういう人を見るにつけ、羨ましいなあと思います。 気づけば何もせぬ間に50だなあと、思います。 人々を感動させたいとか、役に立ちたいとか、何かを残したいわけではないのですが、 一心不乱に打ち込めるものがあることが羨ましいのです。 もちろん、その結果として誰かの心にポジティブなものを残せれば、 なおのこと満足するでしょうけど。 この思いはいつもあります
私の中に「こうありたい」という崇高なものですらない、 「こう見せたい」という何かが、まだ巣食っているようです。 それに気づいたのは、つい最近。 その日は冬の終わりの日で、知り合いがタイヤ交換に来てくれる予定でした。(ここは北海道。夏タイヤと冬タイヤの交換が季節の変わり目には必要なのです。) 午前中の9時から11時の間に伺いますとのことでした。 時間に幅があったので、とりあえず家事を始めました。 茶碗を洗う、洗濯機を回す、掃除機をかける…、 いつもと同じルーティン。 でも私の
映画「日日是好日」の樹木希林さん。 ドラマ「青天を衝け」の原日出子さん。 映画「バベットの晩餐」の老姉妹。 最近観た映画やドラマで心に残った人たちです。 樹木希林さんの着物姿にはしびれました。 原日出子さんの竹中直人さんとのキスシーンは見事でした。 (御前様(おまえさま)、と呼びかける声音も良かった) バベットの晩餐では、老将軍ローレンスが老姉妹の妹マーチーネに、 長年の恋心を訴えるシーンは若い人のラブシーンよりもずっと胸にきました。 最近年を重ねていくのが楽しみでしよう
以前のブログでも書いたのですが、最近自分がリラックスできていない状態に、ますます気づけるようになりました。 例えばなのですが、休日のある日、家人が犬の散歩に出かけたとします。(休日は家人が犬の散歩係) すると彼がいない間に、洗濯と掃除とお風呂洗いしないと!って焦るのです。 しかも、いつも体調が絶好調なわけではない私。 すぐ動けず、しばらくソファーに座っていたりします。 その間も頭の中では、「早く早く、動け動け」と自分を急かしています。 んでもって、やっと動き出したら、「あー
時々自分の全てを受け入れる努力をしていていも、 なかなかうまくいっていないなーと、思うことがあります。 それを特に感じる時というのが、 友人に私の繊細さを指摘された時です。 親しい友人は私のことをわかっているので、 「本当はビビリだよね」とか、 「すごい気を使うよね」とか、 「みんなの前でテンション上げているから、疲れるでしょう」とか、 「傷つきやすいよね」とか、 何気なく口にします。 そう言われると、それこそ傷ついてしまうのです。 どうしてでしょう? 自分をよーく掘り下げ
今自分の中で行きつ戻りつしながら、自分なりの価値基準を再構築している最中です。 例えば、 先日2年ぶりぐらいに昔の同僚に会いました。 彼女は12月に、婦人科の癌の手術をしたばかりです。 幸い初期だったので、経過観察をしつつ職場復帰しました。 でも、手術痕の痛みがあり締め付けのあるボトムやタイツが履けず、 だぶだぶのパンツで出社しているそうです。 年度末から年初にかけての3、4月は忙しく、 痛みを堪えつつ、土日も含めて連日9時過ぎまで仕事をしているとか。 なんだか、自由な時
ぼーっとする時間はありあまるほどあるのに、ぼーっとしていない自分。 とりとめなく、ある出来事からある出来事へと、考えるともなく考えている自分。 ぼーっとしようと思ったら、結構気合いを入れなくてはなりません。 私の場合ぼーっとするためには、何はなくとも犬を山に連れ出します。 そして例えば、「鳥の声を聞こう」と決めます。 鳥の声に集中すれば考えは途切れます。 他には、ひたすら「犬を見つめていよう」とか、 ひたすら「風を感じよう」とか、 ひたすら「枯れ草の中から顔を出す新芽を探そ
長く人生を生きていると、「えーーーー!」という人に出会うこともあります。 「えー?そんなことやっちゃうの?」 とか 「えー?そんなこと言っちゃうの?」 とか。 先日、実に身近な人があからさまに人を傷つける場面に出くわしてしまいました。 暴力ではありませんが、言葉の暴力です。 被害にあった人から、その暴言メールを見せられた時には、 何かの間違いかと思いました。 もう驚いたのなんのって。 その日は眠れませんでした。(自分が被害者ではなかったのですが) 傷つける方は正当な理由が
ごく最近気づいたのですが、 実は人って気付かぬうちに、 自分で自分にダメージを与えているものかもしれません。 例えば、化粧をしている時、お風呂に入っている時、何気ない日常の一コマで、フッと、昔の嫌なことを思い出してしまう。 その時感じた怒りや悲しみをまざまざと思い出す時は、まだいいかもしれません。 「その出来事」と向き合いましょう、という分かりやすい合図ですから。なぜあんなに悔しかったのか、悲しかったのか、じっくり考えて、ダメージをステップに変えていけばいいのだと思います。
だいぶん前ですけど、テレビで脊髄性筋萎縮症という進行性の病気にもかかわらず、結婚をして子供を産んだ女性の番組がやっていました。 下手したらズブズブのお涙頂戴の感動劇場になるところです。 ところがですねー、その病気にかかっている女性が明るくて元気なの! 子供を産むときには実際死ぬか生きるかという感じで、身体的にも相当大変だったようなのですが、 「痛くて早く終わってくれって感じでした。」と明るくさらりと言ってのける力強さ。 昔お友達とプールに行った時には、プールの滑り台が楽し
さてさて、自分大好き街道を只今整備中の私ですが、 工事が軌道に乗るまでは、なかなか時間がかかりましたよ。 私は一応カウンセラーのまねごともやっていたので、 「自分を大事に」という言葉を、もう、そりゃあ、葵の御紋のようにしょっちゅう使っていました。 スクールカウンセラーでしたので、子供に親に教員にと、 「ゆっくりしてくださいね。」とか「少し休んでくださいね」とか言って、 最後に葵の御紋を出すのです。 「自分を大事にしてくださいね。」 でも、今思うと当時、私自身が私のことを
「はじめまして」でも、書いたのですが、 今自分の中で、「表面的な自分」と「本当の自分」がブームです。 どんな人でも大人である以上、仮面、すなわちペルソナをつけているものだと思うのですが、私の場合自分自身とペルソナがあまりにも乖離していたなと分析しています。 だいたい自分の憧れるものが、あまりにも本来の自分の志向と違っていたのです。 憧れていたのは、明るくて、さっぱりしていて、裏も表もない楽天的な人。 社交的で、友人がたくさんいて、何かというと仲間と会って楽しむ…みたいな人。
先日、49歳になりました。 50年近く生きてきて、今が一番幸せですし、若い頃に戻りたいとは思いません。 日にち限定なら80年代とか90年代に戻ってみたい気もしますが…それはまた別の話。 若い頃の「楽しい」といえば、はしゃいで気分が高揚していて、ちょっと浮かれた感覚が蘇ってきます。 それはそれで良いのですが、そんな感覚は基本的に長続きしません。 それどころか、今ハッピーかと思えば、すぐに怒ったり悲しんだり、 私の場合、若いうちはとにかく気分の高揚が激しかった。 それが若さと