名もなき人
今年の初め、田中邦衛さん、橋田壽賀子さんと相次いで亡くなりました。
天職を若いうちに見つけ、一心にそれを追求した人たちです。
そういう人を見るにつけ、羨ましいなあと思います。
気づけば何もせぬ間に50だなあと、思います。
人々を感動させたいとか、役に立ちたいとか、何かを残したいわけではないのですが、
一心不乱に打ち込めるものがあることが羨ましいのです。
もちろん、その結果として誰かの心にポジティブなものを残せれば、
なおのこと満足するでしょうけど。
この思いはいつもあります。的を絞って何かを頑張ることができなかったという思い。
何ででしょうね?
これも今生きている時代が生み出した幻想に翻弄されている結果なのでしょうか?
・何かなさねばならない。
・ひとかどのものであらねばならない。
みんなが自称起業家になり、誰かが言った言葉を自分の言葉のようにSNSで発信し、フォロワーが多くなると、「ひとかどの人間」となる…。
普通の家に生まれ、普通の名もなき学校を経て、OLとなり、
サラリーマンと結婚して、子供に恵まれず、夫婦で波風のない生活を送る。
一人の女性のこんな一生は価値なきものとされてしまうような風潮に、
自分は踊らされてはいまいか?と、考えてしまいます。
一見すると平穏なつまらない一生の中で、
人は歯ぎしりするほど悔しい思いをしたり、
心の晴れない辛い日々を送ったり、死ぬほどの思いをして自己改革したり、
しています。
もしかしたら、
ノーベル賞を取った喜びと同じぐらいの喜びを味わったり、
どっかの会社を買収したぐらいの興奮を味わったり、
何年もかかったプロジェクトをやっと仕上げたぐらいの満足感を味わったりしているかもしれません。誰がその実情を知るというのでしょうか?
私も含めて、「名もない人」は「ひとかどの人」同様、
決して楽なばかりではない人生を一生懸命生きています。
そうか、田中邦衛さんだって橋田壽賀子さんだって、
映画やドラマで「名もない人々」の人生を演じたり描いたりしているではないか。
名もない私たちの人生だって、多くの人たちを感動させることができるのです。
私はさしたる才能というものを与えられなかったけれど、
私なりの喜怒哀楽に満ちたこの人生を、
大事に大事に生きていこう。
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