揺れる心と向き合い方
何かを決めたとき、「こうする!」と決意した後から「とはいえやっぱり…」と揺らぐことはありませんか?
私はよくあります。
とはいえ、大丈夫なんだろうか?
とはいえ、他の方法はないんだろうか?
とはいえ、これでベストなんだろうか?
などなど。
この時の自分をちょっとよく見てみると、
・自分を信じ切れていない
・人の目を気にしている
の二つがあることに気づきました。
一つ目、自分を信じ切れていない。
これは、自分の決断を信じ切れず疑っているということです。
未来はなってみないとわからない部分がありますよね。
未来を見通すことはできないというか…
だから、根拠がなくても信じるしかないんだと思うようにしています。
根拠は後からついてくる、というか。
確実で、心の底から疑う余地もないことっておそらく、「人は必ずいつか死ぬ」ということくらいだと思っています。
そして二つ目、人の目を気にしている。
これは私の場合、
「もしも達成しなかったら/叶えられなかったら 恥ずかしい」という思いです。
そうなった場合に、どう思われるのだろうか?と考えると怖さが出てくるために、”確実なところを言ったほうがいいのでは?”と思ってしまいます。
でも、確実なものなんて本当は何一つない。
私はありがたいことに、
高校も大学も第一志望に合格しました。
先生方から「きっとおそらく問題ない。大丈夫」と言われて(あるいはA判定で)受験しました。
私のこの受験の経験では無事に達成することができていますが、
受験当日に体調不良になったり、交通トラブルなどに巻き込まれたりした可能性もあります。何があってもおかしくなかったのです。
だから先生も、「絶対合格する」とは言い切らないんですよね。100%はないから。
それでも、統計や経験からはじき出している。
かといって、可能性が低いことは達成できないかというとそうでもないとも思っています。
実際に高校受験では「落ちる可能性が高いけれど」と言って(言われつつ)受験して合格した友だちも何人もいます。
私の経験では、車の運転は絶対できるようにならないだろうレベルでへたくそでしたが、今では普通に雨の日も雪の日も夜道も高速道路も運転できます。
なにが言いたいかというと、
「100%きまっている未来はないのだから、自分がどう思いこんで行動するかで未来ができていく」
と思って過ごすとより実り多い毎日になりそうだ、と思っている
ということです。
ということで、実は私は絶賛チャレンジ中なのです。
可能性がごく低いことに。
チャレンジしたいと思ったのも、すると決めたのも私自身。途中でやめることも、また今度!にすることもできるけれどそうしないで進むと決めてやっています。
どうなるかな?楽しみです✨