見出し画像

5つの殻と3つの方法、6つの毒〜④

こんにちは、かとしょーです!

上京物語を読んでの投稿、今回が最後になります。

久しぶりに読んで、読むことを勧められて、また破るべき殻に囚われている自分を見つめ、
心が進んでいない状態であることを見つめ、
何故そうなるのか、今自分の心にあるものは何かを考えて、
辿り着いたのが6つの毒です。

心毒、或いは煩悩とも呼ぶそれは仏教において6つの基本があります。
それは、貪、瞋、慢、無明、見、疑の6つです。

貪は貪欲、外のものを見たり聞いたりして、心地よいものを欲しがることです。

瞋、或いは瞋恚は、心地よくないものを排斥しようとする心であり、怒りです。

慢は慢心、他者と比較しておごりたかぶることです。

無明は真理を知ろうとしないことです。

見は誤った見解のことです。

疑は教えを信じきれず、あれこれと疑いを抱くことです。

さて…どれも上京物語の内容に繋がると思いませんか?

破るべき殻は、即ち誤った常識、見です。
幸せの基準を他者との比較としているのは慢があるからでしょう。
安定を、不変を求めるのは貪や瞋が当てはまります。
そして、それらの常識から行動の基準をお金にすることや、お金を稼げることの中からやりたいことを探すのは、本当の望みを遠ざける無明です。
失敗しないように生きるのも貪がありそうです。

そして、自分が誤った見解に囚われていることを認められないのは疑・慢・瞋でしょう。

指摘の内容を疑う、己を正しいと思い込む心。慢心し、自分を優れていると思う心。
これらがあれば相手の言う事を聞けず殻に囚われます。
そして瞋、指摘の内容や指摘者に対しての怒りがあれば、或いは別の所で怒りを既に溜めている状態であれば、如何に正しい内容であったとしても聞き入れることができなくなります。

これらの6つのの毒の中で特に強く私が陥っていたのは慢と瞋です。
そもそも慢心、マウントを取ろうとする傾向は幾度も指摘されていたものです。
更に今回上京物語を再読する契機に至ったのは一度克服して意識から外れていた指摘だったがゆえに「そんなハズは…」と受け入れがたくなっていました。

そして、瞋です。
私は抱え込みやすくストレスを独りで溜めることについても幾度も指摘をされています。
そして、思い返してみればここ数週間の間に何度も「怒りそうに見えない」「穏やかそう」と評価していただいているのに対して、「ありがとう」ではなく「怒りやすいし、怒ると大変だから穏やかであろうとしているだけ」と返していました。
会話の内容が、「怒りを抑えている状態」を表し続けていたのです。そんな状態であればセルフトークや隠している本心も「怒りを抑えている状態」なのは…今思えば明らかだったのでしょう。
ギリギリに怒りを溜めている状態では、例え正しい内容で普段なら頷けているものや相手からの指摘であっても、
それを弾き、無視してしまいます。
そして心地良いものだけを求め、不変を求めれば…立派に殻に囚われた状態の出来上がりです。

そして、慢と瞋に嵌まったこのような生き方など最も幸福からかけ離れたものです。
常に弱者を探し、強者に怯え、自分から善意を撥ね退けていった道の先に幸せはありません。

だからこそ、今自分がどんな心の毒に侵されているのか?を見直すことが必要になります。
私の場合は特に慢と瞋でしたが、相手の言う事をつい何でも疑ってかかってしまう疑や、安定を求める貪なども心当たりがある方は多いのではないでしょうか?

私は私の心の状態を上京物語を読むことで見返し、毒のループに気付くことができました。
だからこそ、4部にわたるこの長文も読んだ誰かが自分を振り返る助けになればと思っています。
これを読む全ての人が6つの毒に気付き、3つの方法を実践し、5つの殻を破ることで「あなたにとっての」人生の成功者になることを祈っています。

いいなと思ったら応援しよう!