実母の命日
安倍元首相の国葬が執り行われた日、実母の命日でした。
とても気の毒な最期になってしまいました。
70歳の誕生日を迎えることなく69歳で、この世を去りました。
家族に見放されて・・・
母は、まじめな人でした。
掃除、洗濯、掃除・・・結婚して、専業主婦だった母は、家事は、ほぼ手を抜くことなくこなしていたと記憶しています。
私が高校時代、毎日弁当を欠かさず持たせてくれました。
たまには、購買でパンを買いたいと思っても・・・
50代で、孫に出会えたものの、子どもの扱いに戸惑う母。
里帰り出産をしても、食事と布団を準備してくれるにとどまりました。
※夜中、泣きぐずる、ミルクを吐く長男をずーっと抱っこして揺らしながら、天井からぶら下がる電球を眺めていた・・・母は、様子を見にきてはくれませんでした。
そして、2人目は、里帰りしませんでした。
次男の小学校の卒業式を終えた次の日、母からなきの電話が
「お父さんに、病院に入れられちゃった・・・」
『家事ができないなら、病院でゆっくりするといい。』
という父としては、優しさだったみたい。
今までの経緯を見聞きしていると、父のやさしさではなく、
「家事ができない女は用済み」と言っているように感じた。
昭和の古臭い考え(←偏見)で、
「働かざる者、食うべからず」って聞いたことあるけど、
父もその種類の人間だな。と感じた。
そして、母は、意を決してハンガーストライキ?!
病院の見舞いへ、父はおろか、弟妹も全く行く様子がなかったので、
私は、往復5時間以上かけて週2回様子を見に行った。
実家からなら往復2時間位で行けるはずなんだけど、気持ちがないからね。
父は、プロに丸投げ。なんもわからない素人が行っても意味ない。
と思っていたから。
母はだれよりも、父に振り向いてほしかったんだけどね・・・
その希望が断たれたので、「この世を去りたい」と切望。
そして、出された食事には手をつけなかったけど、夜中はどうしても意識がもうろうとして、食べ物を少し口にしていたらしい。
棺桶に入っている母は・・・
死因は『餓死』だろうか・・・
というほど、骨と皮になってしまっていた。
病院→介護施設 2年位の時間をかけて「自分の意志で命を終わらせた」
と、感じたのは、私・・・と、(お見舞いの様子を逐一聞いていた)私の夫位だろう。
心残り・・・「ありがとう」
母は、「男は仕事、女は家を守る」という考えのもと、
「疲れていても、家事をやるのは自分の仕事」と
当然のように家事をこなしていた。
父も、仕事で稼いでいれば、自分の役目を果たしていると思い込んでいた。
また、仕事が大好き。のめりこめばのめりこむほど、時代もよかったので、
稼ぎも上がり、調子よくやっていた。
お互いに歳をとり、母は、体力的に同じように家事をこなせなくなっていた。父は、体力を使う仕事ではなかったので、未だに会社に通い、口を出しまくっている。
家事ができづらくなっている人に、どのような言葉をかけたかというと
「疲れているなら、無理にやらなくていいよ。数日掃除しなくても、埃で人は死なないから。」
だからと言って、代わりにやる人はいない。
無理して掃除して、ゴロリと横になっていれば
「無理してやるから」と責められてしまう。
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そんな家庭環境だったので、
私も「女が家事をやるのは当たり前」と思っていました。
夫は「いつもありがとね。」と言ってくれる。
疲れた~と言いながら、家事をやっていると、
洗濯機から洗濯物を出してくれるので、
私「ありがとね」
夫「洗濯したのは、洗濯機だし、干すのは俺じゃないし、ありがとうなんて、こちらがありがとうだよ。」
こんな具合に、お互いに「ありがとう」「ありがとうなんて、こちらこそありがとう」と、ありがとうの応酬の場面が結構ある。
「ありがとう」だけで、結構疲れは半減するんだけどね。
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母にも「ありがとう。で、疲れが半減する」という体験、させてあげたかったな。
(1609字)
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