実家を抜け出した理由と子育ての正解がわからない理由〜人生サバイブ編〜
4人チームの日常を書く前に、前提として、エガミンの古傷えぐり系記事を置いておく。ふわふわの日常と思って読もうとしてくれた人は、ここで止めた方がいいかと思います。なんか有名人ぽく書いてしまったけど(恥)、決して調子乗ってるわけではないです。人によっては、ちょっとしんどい中身かもです。
※宗教のことが出てきますが「★★宗教」としています。特定の宗教を否定したり非難したいわけではなく、★★小学校に昔行ってたよみたいなレベルの話で、読んでもらえるとうれしいです。
過去トリップ
“「★★教」が児童虐待の可能性”弁護団が国に訴え”
通勤電車でいつものように見たニュースサイト。スマートフォンの画面に躍り出たタイトルにこころが揺れ、たちまち心臓が早くなった。会社に到着しても、しばらく仕事が手に付かず、オンライン会議に参加しても発言者の言葉の意味が頭に入らなかった。
人間は、本当につらいことは思い出せなくなるんだって。解離性健忘って言うらしく、インターネットの家庭の医学を調べてみると「心的外傷やストレスによって引き起こされる健忘(記憶障害)のことで、自分にとって重要な情報が思い出せなくなります」って、書いてあった。だからなのか、私は幼少期の記憶があまりなかった。でも、何かのきっかけで怒涛のように記憶の波が押し寄せることがある。今回のニュースサイトをみたことも、きっと、“何かのきっかけ”だったように思う。
「あなたは、とっても光栄な子」
「あなたはママの誇り」
「あなたは本当に賢い子」
「あなたのなかにはサタンがいる。ムチで追い出します」
「ママを苦しめてたのしい?」
「あなたなんて産むんじゃなかった」
「あなたたちのせいで私は自由がない」
「あなたはもう娘でもなんでもない」
「あなたのお腹の子はかわいそう。生まれてすぐにハルマゲドンで死ぬのね」
このどのセリフも、すべて、同じ母が言ったものだ。(「あなた」が本当は私の名前ではあるけど)。16歳で家を出てから、離れて暮らしていて、数年に1度会うか会わないかだから、顔も朧気だけど、言われたセリフと声の感じは、はっきりとしている。
べこべこ自己肯定感
私は5人きょうだいの2番目に産まれた。私がおなかにいるときに、母は★★教の洗礼を受けて、「姉妹」になった(★★教は洗礼を受けた信者同士のことを兄弟姉妹と呼ぶ。ややこしいので、兄や弟など実際の兄弟をひらがな表記にする)。私が小学校6年生のときに同宗教で洗礼を受けた際、「あなたは2回も洗礼を受けた、とっても光栄な子なのよ」と、母がうれしそうにしていたことを覚えている。私は、母を喜ばせたい、母の誇りになりたい、その一心で宗教活動をしていたように思う。「ハルマゲドンがきて世界が滅びてしまう。伝道奉仕で世の人を救わないといけない。」そんな使命感より、私の世界は母がすべてだった。
週に3回の集会、週に2回の伝道奉仕、毎日の日々の聖句の朗読、夜寝る前の聖書の朗読。このすべては、私の読解力や理解力を間違いなく高めたし、現に小学校や中学校では、国語は私にとって「屁」みたいなものだった。夏休みは、兄弟の読書感想文を代筆して賞をとったのも一度や二度ではなかった。(だから、出版社ではたらく今、こういった経験には本当に感謝してる。)
母のために。使命感を燃えていたときの私は、きっと、自己肯定感は高かったように思う。その当時、自己肯定感なんて言葉を知らなかったとしても、集会で発表する私をみるときの満足げな母の顔は、間違いなく、「私はほかのきょうだいより特別なんだ。母に愛されている」と、思えるものだった。
たとえ、誕生日を祝ってもらうどころか、ただ、「そうだね」って言ってほしいためだけに、誕生日の朝に「今日、何の日だと思う?」と聞いて、ムチでたたかれたとしても。
たとえ、クリスマス会などの学校行事は参加できず、ひとりで教室待機するために先生に信仰を示さなければいけなかったとしても。
たとえ、“この世の人(★★教が言う、信者以外の世界の人すべて)”である、小学校の子と手紙の交換をしたことでムチをされたとしても。
たとえ、“この世の人”である学校の子との交流にくわえ、“この世の悪い影響を与える”テレビも音楽も禁止されて、家にある百科事典だけが友達だったとしても。
たとえ、集会に行くたびに、★★教嫌いの父親が目の前で母を何度も殴った後、兄や私を蹴飛ばして殴ることが日常だったとしても。
私の自己肯定感は、歪んだ使命感のように私にまとわりついていた。「母への忠誠を私は試されている」と、自分がジャンヌダルクにでもなったようにでも、感じていたのだろうか。
そう。ふりかえれば、私は、神を心から信じて愛していなかった。私が愛していたのは「母」であり、私が愛されたかったのは「母」だ。だから、私が「★★教」の集会に行けなくなったのも、歪んだ使命感を剥がすことになったきっかけも、「母」だった。
おそろしい考え
私は週に数回、信者の兄弟の家で英語をならっていた。世界各国で伝道奉仕を行った、母いわく「すごい兄弟」だった。子どもたちを信者として模範的に育てている母の願いにより、兄弟は兄と私に英語を教えてくれることになった。4人がけのテーブルに、兄、対面に私と兄弟が座る。それがいつもの座り方だった。兄弟はとても穏やかで優しく、丁寧に教えてくれる人で、いつも家で父親に殴られている私からすると、とても信頼できる大人の男の人だった。小学生の私は、読解力と理解力を発揮し、よく兄弟に褒められた。頭を撫でてもらったり、肩をさすってもらったり。その一環だったのかもしれないが、いつからか、隣に座る私の太ももの内側に手を添えてさすることが多くなった。スキンシップのあるコミュニケーションに慣れていない私は、戸惑ったが、これは、兄弟のスキンシップなのだ。私は子どもで、子どもを愛する大人の行動なのだ。そう思っていたのに、英語を習いに行く日に限ってお腹が痛くなった。バスにのって兄弟の家に行くのだけれど、バスにのる足が震えた。兄は、「さぼりたいんやな。英語きらいなん?」って言った。ちがう。英語は好きだ。兄弟も好きだ。なんでか分からないけど、あの家に行くと考えただけで吐き気がした。
ある日、もう隠しきれなくて、母に相談した。兄弟の家に行こうとすると、お腹が痛くなること。吐き気がすること。とくに、兄弟が太ももをさわってくるときが、とくに気持ち悪くなること。母は烈火のごとく怒った。それも、びっくりするぐらいの剣幕で。30㎝定規で何度も顔を殴られた。
「あの兄弟に教えてもらえるだけでも光栄なのに、なんて失礼なことを言うのか!」
「二度とそんなことを言うのは許さない!」
「このうそつき!ママを苦しめてたのしい?なにかの仕返し?」
定規で殴られたあと、いつものおしりのムチもあった。殴られるたびに、私のまとわりついていた使命感が、少しずつとれていった。そして、少しずつ「母は私を信じていない?」という恐ろしい考えが、私の頭のなかにもたげてきた。
あとがき
「実家を抜け出した理由と子育ての正解がわからない理由~人生サバイブ編~」は、まだまだ続きがあるけど、書いたり読み直すのに、とっても体力使うので、たま~の更新にする。
基本は、ほわほわ日常をベースに綴ることをここに決意。
誰かいつか見てくれる人へ。すてきな1日になりますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?