感情って、体の反応からの“推測”でつくられているんだって
ごくたまにくる、目覚めたときに胸あたりがぎゅうっとなる朝が好きだ。続けて「うわぁ昨日ほんっとうにしあわせだったなぁ好きだったなぁ」と思い出す。狙ったところで来てくれないし、年に数えるほどしかこないからだの反応。時間が許す朝なら、お布団のなかでそのまましばらくその気持ちを味わうことが多い。
今朝は、それ。おかげでモーニングページ用のメモを取りに行くのももったいなくて、でもただ味わって気持ちが流れていってしまうのも惜しくて、noteにモーニングページ風な、日記風な文章を書いて置き換えることにした。
この感じ、わたしは9割くらいはとても良いコンサートや舞台を観た翌日にやってくることが多い。あなたはどんなときに来ます? そもそも、こういう漫画に登場しそうな朝って、みんなに来るわけじゃない気もする。どぎゃん?(って言いたいだけの、関東勢です…ふわふわしてるから許してほしい)
今とても楽しく読み進めているリベラルアーツに関する本に脳科学の章があって、人の感情は、体の反応から推測してつくられるという旨のことが書かれていた。これ、興味深くない? 脳のしくみ結構関心あって脳科学の本もちょこちょこ手に取ってきたなかで、初めて出会った内容だった。
たとえば、有名な吊り橋効果。高い橋の上で出会うと、恐怖とか緊張からくるドキドキ感を、恋愛感情だと勘違いして出会った相手を好きになってしまうというあれ。あまりに有名だけれど、ドキドキ→恋かも! って、そんな単純にいくものかぁ? ってあまり信じてはいなかった。でも、すべての感情がそんな風につくられてるんだって。
何かの発表の前。心拍数が上がったり手が震えたりする。それを「緊張してしまっている!」と捉えると、余計にドキドキして焦ってしまうことも。そんなときは、「興奮やわくわく感で体のパフォーマンスが上がっている!」と捉えるといいよという話もある。体の反応は、興奮状態でも緊張状態でもほぼ同じ。だったら、それにどんな感情を当てはめるかでその後の体の動きが変わってくるなんて興味深い。
そんな話を読んでからのこの数日、体の反応にいつもより気を配りながら過ごしてみた。
例えば電車の中で学校帰りの子たちがなかなかの大声で遊び始めてしまい気持ちがざわざわしたとき。「これは苛立ちじゃなくて、心配の気持ち」と思ったら心が穏やかになった。はじめは「公共の場所でうるさいよ!」って怒りをぶつけたいような気持ちだったのが、もし彼らの声のボリュームなどがさらにエスカレートすることがあれば、穏やかに、彼らに寄り添ったIメッセージなり気づきのきっかけとなるような言葉なりをかけられるモードになっていた。わぁ、すごい。
日本料理の職人さんに取材させていただいた際に「修行をしているうちに、感情のコントロールができるようになった。だから、怒ったり苛立ったりすることなくお店を経営している」という話をしてくれた。感情ぐらぐらしがちのわたしからしたらうらやましいお話だったけれど、何年間もの修行をしてこそそうなれるんだ…と思わされた。お坊さんとかも、修行してるからあの穏やかな心を手に入れられたんだろう、と。
わたしは修行に出る気は今のところないけれど、気持ちのコントロールができるようになったらもっと楽に、楽しく生きられるだろうと思う。そのためにはこの、自然に起こる体の反応に敏感になる→自然と湧き起こったのがほしい感情じゃなかったときには自分で置き換えてしまうって方法が効く気がする。ね、どぎゃんですか?
話はかなり遠くにとんでしまったけれど、こういうのがモーニングページ的で思考を書き出すおもしろさだなぁといつも感じて楽しんでいる。
何はともあれ今朝は、このふわふわした感じに「やっぱりあの子のパフォーマンスとか、人柄とか、考え方が好きだなぁ。昨日の唄にのせた感情に会場まるごと包まれる感じ、こんなの初めてって感じで最高だったなぁ」と、沸き起こるやっぱり好きだという感情をのせて、噛み締める。この状態で毎日過ごせたら最高だから、再現性あるといいのになぁ☺️
本日は本当にふわっふわしながら、お布団の中からお届けいたしました。いい土曜日にしましょうねー。
ちなみに、文中で触れた本は『視点という教養』。大抵の本は1日で読み切ってしまうところを、楽しすぎて1章ずつ味わいながら、めずらしくゆっくりゆっくり読んでいます。これは読んだ方と感想戦がしたい!