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未来のためのきれいごと

「未来のためにできること」か。小学生かギリ中学生の作文のテーマである。いい大人たちが「文藝春秋に掲載されるかもよ」という飴玉につられて、この8月9月を夏休みの子どものように宿題に追われながら過ごしている図はなんとも滑稽だ。「よりよい未来のためにあなたがやりたいと考えていることや実際に行動していること」を募集しているらしい。が、こんなお仕着せのテーマでは、育ちの良いお上品なユーザーのきれいごと選手権に終わるのが目に見えている。

未来のために、何をすべきか。まずは、この手のテキストでありがちなナルシズム香るスピリチュアルじみたノンフィクション自慢エッセイを即刻やめるべきである。世の中は、こどもたちのために的な、地球の平和のために的な、持続可能な社会のために的なものをスッと受け入れられる清らかな人ばかりではない。

未来のためを思うなら、まずはそれを伝えるテキストの、なんか偽善な匂いをどうにか消していくべきだ。

「誰一人取り残さない」というSDGs的なものを目指すなら、婦人画報の読者様に語るような、FRaUのママ読者に響くような、取り澄ました語り口ではなく、ヤンマガや週刊実話や夕刊フジや実話ナックルズの読者たちも漏れなく面白がれるように間口を広げておいてほしい。持続可能?なんだそりゃ?知らねえよ、知りたくもねえよ、偽善だろ、というスタンスの人を振り向かせてこそ、持続可能な社会は成立すると思う。

こんなことを言うと、ふんわりとしたショートストールを巻きつけた上品なご婦人から、「やらない偽善より、やる偽善ですよ」などとお小言をいただくだろう。でも違うんだ、おばさん。「やる・やらない」の話じゃない。行動に移す手前の、語り口の話をしてる。

「未来のために」と語るとき、義務教育のせいか、私たちは壇上から人類代表で発表するような中学生弁論大会モードに入りがちである。もしくは反対に「ささやかだけどできること」みたいな下から目線の小市民のちょっと珍しい活動発表を奥ゆかしくしがちである。こういう取り澄ました語り口を続けるかぎり、「未来のために」というテキストは伝播力のない薄っぺらな読み物の域を出ない。

これが企業のCSRだったら、きれいごとになっちゃうのも仕方がないと思う。環境とか福祉のNPO法人だったら、組織の存続に関わるから滅多なことは言えないと思う。でも、個人はこれまで延々繰り返されてきた大人のきれいごと作文のフォーマットを踏襲する必要はない。

きれいごとは、きれいに伝えると、きれいに伝わらないからだ。

例を挙げると。

杉良太郎が、東日本大震災で炊き出しをしている最中に、記者に「売名ですか?」と聞かれ「売名に決まってるじゃないですか。あなたも売名でいいからやりなさい」と答えた、というエピソードがある。

これは「やらない偽善より、やる偽善」の典型話だと捉えられ讃えられたが、ここで注目してほしいのは、話の中身より語り口だ。

「やらない偽善より、やる偽善ですよ」と、そのまま言っても響かない。なんだババア、偉そうに、と思われておしまい。ボランティアをする人は、自分が無意識に善行マウントをとってしまうことに気づけていない。そこで杉良は、「売名だよ」と言うことで偉そうなスタンスを和らげている。つまり、ボランティア界隈の外に届く表現を選んでいる。

きれいごとは、きれいに伝えても、きれいな世界の住人にしか伝わらない。きれいごとをより多くのひとに届けようと思うなら、杉良のように荒っぽい言葉を使ったりしながら、手段を問わずに実現性にこだわるべきだと思う。気候変動問題で売名しようとする少女がいたから、気候変動問題は現実的に多くの人の意識するところになった。脱炭素で国民の支持率を上げようとしたり、SDGs関連銘柄で儲けようとする人がたくさんいたから、実際的にSDGsが進んでいるのだと思う。

私たちは、自身が汚れた言葉の海で暮らす生き物であることをもっと認識すべきだと思う。その海には考え方の多様な生き物がいて、だからこそ世界は素晴らしくカラフルで美しい。白い肌、黒い肌、黄色い肌の魚。宗教色のついた群れや共産主義の赤い群れ。清らかな淡水に生きるボランティア種。雌雄問わないジェンダーレス種。色メガネで見られるマイノリティ種。それら全てを監視するポリコレ種。とにかく忙殺されるサラリーマン回遊魚がいて、夜の街には毒をもった極彩色の人魚がいて、深い深い闇社会には得体の知れない影が蠢いている。井の中の蛙のきれいごとは、大海の一滴でしかない。

汚い水を好む魚がいるように、汚ない言葉を好む人がいる。世の中は、美談よりゴシップを、美化より中傷を、好評より悪評を、賞賛よりヘイトを、結婚報道より浮気報道を求める傾向にある。「未来のためにできること」なんて、我が子の書いた作文でもないかぎり、読みたいとも思わない人が大多数だ。

「世間はそこまで汚れていない。おまえの心が汚れているからそう思うんだ」と、思われるかもしれない。まあ確かに、おれの心は汚れている。だがの世間のほうも、どっこいどっこいの汚れ具合じゃないかな。

だって、文春が売れてる世の中なんだから。



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