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【しんがり】納得できない仕事に対する、向き合い方。

「会社の指示に納得できない、だから仕事にやりがいを感じない。」

と、思われている方、いるかもしれません。

僕もあります、特にこの2-3日間なんかまさにそうで、

「これ間違いなく上手くいかないよな。」

と言われる仕事に今、取り組んでいます。

でもね、そこに価値を見出すのもすごく大切、
そこで、本Noteでは森岡毅氏の

『苦しかった時のはなしをしようか。』のストーリー編から、


納得できない仕事を受けた時に、取るべきスタンス


を読者のみなさんと考えてみたいと思います。


■ローカルの苦悩

海外で働いていると必ずぶち当たる壁がある。

“本社の指示と現地の意思”だ。

海外事業部で経営周りのサポートをさせていただく、僕の役割のひとつには、

“本部指示の遂行”

というなかなか厳しい、仕事がついて回る。

ローカルのメンバーが決して納得していない、理解できてない指示であったとしても、
その目的を説明し、確実に遂行しなければならない。


当然だが仕事に対してプライドの高いシンガポリアンには、

「なぜ、そんなことをやるんだ。」

とか、

「何のためにやるんだ。」

とか、直接言われる。
直接言わなくても、裏で不満を抱えているのは間違いない。

一番しんどいのは、説明する自分すらも“納得してない”仕事を相手に説明し、実行に移す時だ。

なぜかって、


負けるとわかっている戦のために、人を巻き込むようなものだからだ。


「おれと一緒に、死んでくれ。」


そんなリーダー果たしているだろうか。
そんなリーダーについていきたいだろうか。

そんな“後ろ向きの仕事”を繰り返している内に、僕らには不満が溜まっていく。
最初の内は、同僚と飲み会で愚痴でも言えば解消するかもしれない。

しかし、数年、いや数十年も繰り返していけば不満すら通り越して、不感症になっていくのだ。

“何年もそんなことをやっているうちに、仕事の意義や自分の存在価値に疑問にすら感じなくなるのだ”

この状態が一番危険な状態だ。
自分の仕事に何一つ、価値もやりがいも見いだせなくなってしまう。


それは誰だってそうだろう。



でも、僕は敢えて言いたい。


誰もがやりたくない仕事だからこそ、


敢えて挑め。


フォロワーにならず、その仕事をリードしろ。


■しんがり、という言葉。

読者の皆さんは“しんがり”という言葉をご存知だろうか。

退却する軍列の最後尾にあって、敵の追撃を防ぐこと。また、その部隊。「隊の殿をつとめる」

という意味だ。

清武英利のノンフィクション小説や、江口洋介のドラマを思い浮かべる人も多いかもしれない。

僕は、この言葉をかなり意訳していて、

“負けるとわかっていながらも、最後まで戦い続ける武士”

と、捉えている。

“しんがり”になれ。

と、僕は言いたい。


本小説、ドラマであれば、泥水を被るような仕事をさせられる、
なぜって会社の不正を暴くからだ。

仕事で前向きになれない、やりがいを感じられない。現に、そういう仕事はある。

僕が言いたいのは、その仕事に対して受身になるなということ。

自分が納得してない、そして成果が出ないと予想される仕事でも、
積極的にその泥水をかぶり、周りから批判を受けながらも、任務を遂行する。


なぜ、それが大事かって。


“しんがり”こそ、貴重な人材であり、


そして、”しんがり”として自分がリードすることで、その悔しさと申し訳なさを身に染みることができるからだ。


■結果を出さないと誰も守れない。

“リーダーとして成さねばならないことは何か?それは、誰に嫌われようが、鬼と呼ばれようが、恨まれようが、何としても集団に結果を出させることである。“


自分が納得できない仕事、自信の持てない仕事。

それでも、その仕事をやらなければならない。
周りに理解してもらい協力してもわらないといけない。


それでも、そんなあなたの立場を理解して協力してくれる人がいる。

依頼する自分ですら自信がないのに、

「本部の指示だから、やらないといけないもんね。」

という理解の下、協力しれくるローカルのメンバーがいる。
そんな時に、自分の無力さ、相手に対する感謝。
いろんな感情がごちゃまぜになる。

僕だってそうだ。
ローカルの市場を理解してない本部の指示に対して無抵抗の自分が情けなくなる。

それでも、他の人を巻き込みながら、仕事を進めていく中で、
理解を示し協力してくれる人がいる。

だからこそ、


「次こそは、勝たせてやりたい。」


と、腹の底から思うことができる。
リーダーとしての己のふがいなさを身に沁みこませながら、
協力してくれたメンバーを次こそは


「勝利に導く。」


そんな覚悟が持てるようになるのは、納得できない仕事をフォロワーとしてやる人間ではなく、

リーダーとして挑む人間だ。


フォロワーいくすえは、会社に対する不信感と失望、自分に対する諦めである。

リーダーが得るものは、己の不甲斐なさと、チームの勝利への覚悟である。


■まとめ

本日は、納得できない仕事を受けた時に、取るべきスタンス。

について考えてきました。

僕の結論は、

フォロワーにならず、リーダーとして敢えて挑む。

です。

誰もが納得してない、やりたがらない仕事だからこそ、その任務を遂行するには、
膨大なエネルギーを消費します。

実現したその先に、あなたはもしかしたら何の達成感を得ることもないかもしれません。

でも、僕がオススメするのは、

“しんがり”になれ。

ということです。それをリーダーとして遂行すること自体にすごく価値があるからです。

リーダーとして自ら泥をかぶり、批判を受け、自分でも疑問を持ちながら進めていく。
それでもなお、そんなあなたの姿勢に共感し、手を差し伸べてくれる仲間が必ず現れます。


そして、その時にあなたは必ずこう思うはずです。


「次こそは、勝たせてやりたい。」

特に、僕が日本企業の海外法人で働いているからでしょうか。
ローカルを理解できてない本部の指示が落ちてくると、

「こんな仕事で、ローカルのメンバーに負担をかけて申し訳ない。」

そんな気持ちが湧いてきます。だからこそ、

「次は、次こそは勝たせてやりたい。」

と、思える。
それは、フォロワーとして受身のスタンスを取る人では、感じ得ない感情です。

フォロワーとして、納得できない指示に不感症になるのか。
リーダーとして、自分の実力向上に腹を括るのか。

それが、将来の大きな差となって現れます。

だからこそ、読者のみなさんには、


是非、“しんがり”になって欲しい。

僕は、そう思います。


最後に、森岡毅氏の言葉を贈ります。

“後ろ向きの仕事による苦しみ最中は、とにかくつらく惨めだ。その傷がまだ生々しいうちは、自己肯定感がなく、自信は崩れ、自分の中の軸が容易に揺らぐ。しかし、キャリアをもっと長い目でみたときには、そういう経験こそが、得難い学びであったと思えるようになったのは不思議だ。
フィジークの大失敗で、一度見事に砕け散ったプライドのおかげで、私の眼には世界が再び新鮮に映り始めた。“


仕事で泥をかぶるのも。


悪いことじゃない。



ではでは、本日はここまでです。
また、明日のnoteでお逢いしましょう。


P.S : ”しんがり”になることで、実力をつけていくのが大切です。それをバネにする。納得できない仕事は、意外と成長のために必要です。



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