縁日の屋台で何も買えない人

ようやく初詣行ってきた。
大晦日と2日に、やってるのかやってないのかよくわからない神社には行ったけど、なんか大きいとこに行くといいらしいから行った。
ほんとうは昨日行きたかったが天気悪く
生来そんな初詣とか自主的にするかんじじゃなかったんだが、この歳になると若干信心深くなってくるというか、漠然としたなんとかなるだろ〜という根拠のない希望を持てなくなってくるので、神にでも祈らずにはいられない。
入り口の階段から既に行列になっていて、昔ならめんどくさがって並ばなかったろうがやはりせっかく電車乗り継いで来たというのと加護を得たいということで賽銭払うのに並ぶ。
この歳でもふらふらしていて、なんか天啓が降りてこないかと思ってしまう。自分で行動あるのみと思って色々手を出しすぎあちこち移動しすぎたのかも。無駄に疲れたから、ここらで安住の地を得たい。
とりあえず、食べるものでも欲しいものでも我慢しないで、でも欲張りすぎず、心穏やかに暮らせるようにお祈りしてきた。
こういうことはあんまり言わない方が良いのかな。まあいいや

めちゃくちゃ並んでると、背後のプレッシャーでなかなか集中できず、手短に手短にと考えてしまって頑張って早めに祈ったが、ほぼ同時に始めた隣の人がまだ祈ってたので、まだ祈って良かったのかーと思いつつ退散する。まあいいや人がいるとあまり集中できないから。これがでかい神社の不便な点の一つである
(かといって近所のやってるのかやってないのかよくわからない神社だと「今やってないかもしれないんですが、、」と断りつつ祈ったり、祈りながらここ神様来てるのかな⋯といぶかしみつつ祈ったりそれはそれであんまり集中してないかんじもあり、また通りすがりの地元民にそこやってないよププと後ろで嘲笑される恐れもある。)
聞いてはいたが色々屋台も出ていて、いいにおいがしていた。私は10円パン(中にもちもちしたのびるチーズが入っているようだった)がすごく気になったが、寄ってみると10円パンというネーミングに反して500円した。さすがに10円ではないだろうとは思ったがちょっと自分の金銭感覚からいって高い。まだ3.400円ならなあ。
ここでしか食べられないものだし、まあやきそばとかは家で食べられるけど、やはりお正月の神社で食べるというのはまた特別な気分になるもんなんだろうけど
とりあえず保留にして全部の屋台の前を一通り歩いてみることにする。

パンで500円なら7.800円出してケバブやお好み焼きを食べた方がお腹いっぱいになるだろうか、いや、でも10円パンははじめて見たしなあ と葛藤する
さっき食べたいものは我慢したくないと祈ったのに、早速祈りに反している。

結局、500円ならスーパーのパン5個買えるぜ、パン屋のパンでも2個は買えるぜ、という悪魔なのか天使なのかわからない声を採用し、神社を去ることにする。
海の近くだったので、行きは大きな駅から直通のバスで来てしまったが、3-40分海べりを歩いて神社の最寄り駅まで歩くことにした。(その方が若干運賃が安かった)

交通費はかかったが、やはり来てよかった。元旦はちょっと隙間バイトをしたけどあとはほぼ引きこもりだったから、外に出て気分が晴れた。ずるずる使ってしまうので節約は大事だが、外に出ると使ってしまうと引きこもると一応それはそれで楽しめるけどちょっとおかしくなっていくかんじがある。
月並みだが海を見ると開放的な気持ちになる。神社は知り合いにおすすめされた割とその辺の人には人気のスポットらしいが、まあ同じ日の同じ時間にここまで離れたところにくる偶然の一致が起こるとも思えないし、つまり知り合いに会う可能性はほとんどないと言っていいわけでそのことがより気分を開放させる。去年までは費用を気にせずあっちゃこっちゃ行って、最近は体力と金銭の温存のために全てを近場で済まそうとする思考に陥っていたが 何でも極端に振れてしまう性分なようだ
なんかの本で週一回くらい行ったことがないところとかに行くと創造性がうまれるとか書いてあったからなるべく引きこもって節約してたまには出かけよう。
そういやこの前栗を買いに行った時もこんなような良い気分になった記憶がある。

話が長くなったが、駅まで歩いているうちにお腹が減ってきたので、地図に載ってたスーパーに寄ってみる。地図のレビューによれば特産の魚のハンバーガーがあるらしい
さっき10円パンを我慢したからこれなら食べてもいいことにしようと決めた。
やっぱり同じスーパーでも普段行かないスーパーに行くと違いがあって楽しい。
バナナと豆腐が近所より安い気がしたので買っとく。あと豆乳のチョコバナナ味というのがあって、さっき屋台で(チョコバナナ本体を)見て気になってはいたのでお祭りよりは安いと買ってみる。
目当てのハンバーガーは売り切れたのか、そもそも正月は作ってないのか、売り場がすっからかんだった。
諦めきれずそのへんを何周かふらふらし、その特産の揚げ物とかでもいいから無いかな?と思ったけど、よくある唐揚げとかいわし(アジ?)しかなく、諦めて帰るかと思ったがそれにはあまりにお腹が空きすぎていて、今体の肉を削ってエネルギーを生み出しているような感覚がある。なので今絶対に何かを買って食べなければならない。
その魚のハンバーガーがなかった現実をなかなか受け入れられなかったが、しょうがなくテリヤキチキンの大きなピザ2切れ300円、なんかおいしそうに見えるクリームパン130円、近場では見たことないくるみがかかっただんご120円くらいをかごに入れ、結局10円パンの500円を超えているが致し方ない。
本当に切羽詰まらないと決断ができない人間と思い知らされる。かわいい靴下を見た時は、即座に買うということだけは決定して、すぐ何を買うかという思考に切り替わるのに、食べ物となると、若干後回しになるというか、余程これが食べたい!と思うか、豆腐納豆ヨーグルト果物とかほぼ確実に食べるものが安いとか、今日みたいにお腹が空きすぎて今すぐ何か胃に入れなければならないまでにならないと決断できない。
冷蔵庫があんまりいっぱいだとなんか賞味期限に追い詰められるというか、逆に不安になるしな。

実をいうと今日も電車からバスに乗り継ぐ間時間があったから駅をぶらぶらしていて、100均でノートだけ買うつもりが事故的に靴下の店を通りかかってしまい、3足600円となっていてしかもかなりストライクのが2足ぱっと目に入りそこからは何をもう一足買うかとなって最終的には何を切り捨てるかという思考になっていった(つまりかわいいものがいっぱいあった) 怖い怖い。靴下も怖いが自分も怖い。
足は二本しかないのに、どうすんだという声がどこからか聞こえるが、このまま食べ物をけちるか暖房をけちるかして死んだら、棺をかわいい靴下で埋めてもらおうと思う。それはそれで幸せなかんじもする。
でも今死ぬと肉親が弔うと思うのでそれはそれで嫌だというか肉親以外に私を弔ってくれる人ができるくらいになりたい せめて親より先に死にたくない(これは親孝行の精神からでは一切ない)

さて靴下に狂わされたことはさておき10円パンより高い買い物をスーパーでして、10円パンを買ってそのままバスで帰るのとどっちが安いのかよくわからない状況になったところまで話しました。
こういうことはよくある。節約のために電車で行く所を自転車で行って寄り道してなんか買っちゃったり
かといって、10円パンを買ったところで「ふーんこんなもんか」「すぐなくなっちゃった」となる可能性は経験則から言って非常に高いのであった

スーパーにイートインがあったのでピザをレンジであっためでかいなと思ったが2切れともぺろり
バナナ1本とクリームパンを追加で食ってまだ食えそうだったけど牛乳(家にある)が飲みたい気分になったので団子には手を出さず駅に向かうことにする
なんとなくお土産屋も覗いてしまって時間ぎりぎりになり走ったので腹八分目でやめておいてよかったと思う
最寄り駅に着いて、野菜はもらえるからとずっと買ったら損だと思ってこの休暇中買わなかったが野菜(特に葉物)がどうしても食べたい衝動に再度駆られる(年末は小松菜が異常に食べたかった。)
さっきピザ食べた時もっと鶏肉を食いたいと思ったが割引で買った加工鶏肉が家にある。とりあえず葉物欲を抑える為千切りキャベツだけ買いにスーパーに寄る。たまたま90円。
帰って食べたらなんでもっと早く野菜買わなかったんだろうとなるくらいめちゃくちゃおいしく感じる。いろいろ消毒とかされてるんだろうがそれでもめちゃくちゃうまい。生野菜ならいかばかりか。靴下買ってる場合じゃない。
あったかくなったら家でキャベツとか育てたいなとか思った。

実況的に書いてたら未だかつてないくらい長くなった こういうのを頭でずーっと垂れ流しているんだな私は。これは普通なんだろうか、尋常じゃないんだろうか。
でも話す相手もいないし、特にオチもないから、ここに書いてすっきりした。
よかった。

終わり


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