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そもそも世の中に「陰キャ」も「陽キャ」も存在しないんじゃないかな

「あの人、陰キャやったよな〜」

久々に大学時代の友人達と飲みに行ったんだけど、ある友達が他の同級生のことをこのように言っているのを聞いて、心に違和感を感じた。

そもそも世の中に「陰キャ」も「陽キャ」も存在しないんじゃないかなって思う。
みんな自分の中に「陰」と「陽」、どちらの要素も持っている。

たまたま自分に合う環境で、「陽」の自分が強く出たりすることもあるし、
自分に合わない人間関係や環境だったり、自分に対してマイナスの思い込みがあったりした場合、「陰」の要素が強く出たりすることもある。

なにより、私自身がそうだった。

物心つく前の小さかった頃は、男の子みたいに活発で運動神経が良く、目立ちたがり屋で
人前で表現するのが好きな子供だったらしい。

でもその後、引越して環境が変わったり、色んな出来事が重なって、正反対の自分になった。
「怖いもの知らずの活発だった私」は、いつしか
自分には何もできないと思い込んでしまうくらい
「消極的な私」になってしまった。この頃の自分を分類するなら「陰」なのかもしれない。

高校まではそんな感じだったんだけど、大学時代は気の合う友達に恵まれて、自分を出せるようになった。毎日笑って過ごしてたし、明るい自分でいられてたと思う。

環境や自分の思い込みによって、こんなに変わるものなんだってことを私自身が身を持って体験したのだ。

キャラとかそういうことで分類するものではなくて、その時の心の状態によって変わってくるんじゃないかな。

周りの人を見ても思う。
小学生の時、クラスの人気者で目立っていた人が
成人式で見かけた時、めっちゃ真面目な感じになっていたり。

逆にあまり目立たなかった人が、めっちゃギャルになっていたり。

ひとりの人間でも、いろんな側面があって
その中の一部分が、何かのきっかけで強く出たりするだけなんだよな。

ってことは、今の自分が全てだと思わなくていいんだね。

だから「あの人はこういう人」って決めつけるのも、「自分はこういう人なんだ」って決めつけるのも良くないよなぁって気付いた。

月と太陽があるように、雨の日があれば晴れの日があるように、ひとりの人間にもいろんな側面があるということ。それを否定したり、自分はこういう人間なんだって思い込んでるのは、他でもない自分自身だったりする。

例えば冒頭の発言をした友達は、いつも明るくて目立つタイプで、世の中でいうところの「陽キャ」なのかもしれない。

でも彼女にだって、悲しくなることもあるだろうし、人には言えない何かがあるかもしれない。
自信家に見えて、本当は自信がないからこそ敢えてそう見せているだけなのかもしれない。
分かんないけど。

でも彼女は「陰キャ」をすごく否定的な意味で使っているように感じたので
実は、彼女は自分の中にある「陰」の部分を否定しているんじゃないかなって思った。

だからきっと、暗い部分を見せちゃいけない
常に明るくいなきゃっていう思い込みがあるのかもね。

そういえば毎日飲み歩いてるって言ってたな。
ひとりになるのが怖いのかもしれない。
自分の中の「陰」の部分を見たくないからなのかなって思ったりした。

自分の中にある「陰」と「陽」
どちらの面も否定せずに見てあげなきゃなんだよね。
どっちがいいとか悪いとかでもないわけだし。
だってよく考えたら、月と太陽どっちもそれぞれ素敵だもんなぁ。

あと、今の自分の状況も全てだと思わなくていいんじゃないかなぁ。

人間って何でもかんでも分類したがるし、境界線を引きがち。

例えば、自由な働き方をしている人を見て、
「いいなぁ。私はいろんなものに縛られて不自由を感じながら仕事をしているのに」って思ったとする。

それって無意識に
「自由な働き方ができる人」と「不自由を感じながら仕事をするしかない自分」
そうやって思い込んで、分類しちゃってるんだと思う。
本当は、「自由な働き方ができる自分」になれる可能性だってちゃんとあるのに、勝手に無理だと思い込んで境界線を引いちゃったりする。

…これ昔の私の話です。笑

3年ほど前、私は満員電車に揺られながら
いつまでこんな生活送らないといけないんだろうって思ってた。

ストレスなく働ける人なんて、ほんの一握りなんだと思ってた。
よほど仕事の能力があって、できる人じゃないと無理なんだって。

でも私は、現状は一旦置いておいて
「なんでも叶うとしたら、どうなりたいの?」って自分の心に聞いた。

そしたら出てきた答えが

「1週間のなかで平日の方が圧倒的に多いんだから、平日も楽しめる人生がいい…!!!!!!」

って叫びました(心の中で)

でもこれ、叶ったんです。
まさかのフルリモートワークで働けるところに転職できて、今は平日に何のストレスも感じていない。

もしあのまま「不自由を感じながら仕事をするしかない自分」だと思い込んだままだったら
何も変わらなかったと思う。

今の状況がどうあれ、自分がどうしたいのかを決めたら、色んなこと動き始めるんだなぁ。
結構人生ってそんなものなのかもしれない。

自分の性格や状況を
「動かせない岩」みたいに固くて重いものって感じてしまいがちだけど、
本当は、スライムみたいに柔らかくて変幻自在なものなのかもしれない。

今までこうだったから、これからもそうとは限らない。
元々いろんな側面や可能性を持っているのだから、どんな自分にだってなれちゃう。

だから自分がいま何者だとか
そういうの全部取っ払って、どうしたいのかを
純粋に望めばいいってことなんだね、きっと。

自分で自分を分類するなよ
壊して見せろよ そのBad Habit

SEKAI NO OWARI 「Habit」

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