無意識の偏見を認識する重要性 - アンコンシャス・バイアス -
はじめに
クリティカル・シンキングの投稿に続いて、アンコンシャス・バイアスです笑 この横文字の続く感じが非常に何を言っているのかわからないですが、クリティカルに考えた結果、アンコンシャス・バイアスに気づくということはよくあることです。
アンコンシャス・バイアスについて聞いたことのない方にとってまず言葉の定義から見ていきましょう。
言葉の意味を考えればそんなに難しいことではありません。
無意識における偏見がアンコンシャス・バイアスです。
今日はアンコンシャス・バイアスの重要性について書いていきたいと思います。
アンコンシャス・バイアスを考える上で最も重要なこと
今日は、この著書を参考にしながら書いていきます。
単刀直入にアンコンシャス・バイアスについて最も重要なことを述べると、
ギリシャの哲学者、アリストテレスは、「無知の知」について唱えたのは有名な話ですが、人は無知であるということを認識することが重要だと提唱したように、常に私たちは、無意識下の偏見に陥っていることを認識しなければならない、ということです。
社会は常にマジョリティとマイノリティに分かれて変遷を辿っています。
そして、マジョリティが所謂、"一般的"なんて表現をされ、資本主義社会下においては、"一般的"であることが経済活動に大きな貢献をする。
大きな貢献をするから、行動すべき。なんてことがあります。
前回のアリストテレスの三段論法を使うとこんな感じになるでしょうか。
そして、これが当たり前の通説として過去30年間、経済活動を行ってきました。
しかし、昨今ではポスト資本主義、脱成長なども言われてきている中で、またSustainable Development Goals (SDGs)では、"Leave no one behind" (誰一人取り残さない) がスローガンとして大々的に打ち出されています。
つまりは、上に述べたロジックに綻びがあるのです。
最近では、Diversity & Inclusionの重要性が問われている中で、私自身まだまだ勉強不足ではありますが、様々な人種や性別、特性を持った人々がインクルーシブに手を取り合っていく社会を実現しようという動きが強まっています。
このようなムーブメントがあるものの、未だに変化仕切れていない部分が多分にあります。
それは、アンコンシャス・バイアスが働いている証拠であると言えます。私たちは、当たり前を当たり前として捉えており、実はその当たり前は少し俯瞰して考えるととんでもない偏見が存在していることがあるのです。
これは国が違えば、社会が違えば、時代が違えば、その偏見に気付きやすいのですが、同じ社会の中にいるとバイアスに気づくことは比較的に難しいです。だからこそクリティカル・シンキングが必要であるということです。
アンコンシャス・バイアスのいくつかの事例
守谷智敬 著の『「アンコンシャス・バイアス」マネジメント』には以下のような事例が冒頭に上がっています。
みなさんはいかがでしょうか。これを見てドキリとされる方もいるかもしれませんし、私自身もお恥ずかしながら上にある全ての部分がこれを読むまでできていたかと言われるとできていない可能性が高いと思いました。
しかし、大事なのは知らなかったこと自体を責めるのではなく、その事実自体を受け止めて、自分自身がアンコンシャス・バイアスを持っていると認識することが最も重要です。
代表的なアンコンシャス・バイアスは大きく分けて15あると本著では紹介されています。
アンコンシャス・バイアスが導く組織崩壊リスク
本著では、アンコンシャス・バイアスが生じることにより上記に示した影響があると言います。
確かに人と人とが対立する多くの場合は、思考の偏りや意識の偏りであったりするケースがあります。
そうなると、例えば
1. Aさん) Bさんに言ったところで何も変わらない、だから言わないでおこう
2. Bさん) 今のやり方でみんな満足しているのだな。このまま継続しよう
3. 時期が経つと… チームワークの低下、パフォーマンスの低下、組織雰囲気の悪化
という形になります。この辺りは容易に想像できますよね。
このようにならないためにも、各個人がアンコンシャス・バイアスを持っているということを認識した上で、他者の意見に耳を傾け、新しい発見をすることが大事だということです。
その結果、組織の雰囲気がよくなり、パフォーマンスもよくなっていくわけです。
アンコンシャス・バイアスを認識するための教育的アプローチ方法
では、教育ではどのようなアプローチをすれば良いのか。
教育と一言で言っても、どの年代への教育なのかによって変わります。
今回は私自身は小学校~高校までの世代に対して事業を展開しているので、あくまでその対象に対してのアプローチについて記載していきます。私自身もアンコンシャス・バイアスについて意識していかなければならないのですが、ここではあえてそこには触れません。笑
さて、ではアンコンシャス・バイアスを認識するには何から始めたら良いでしょうか。
一つは、「気づく力=自己認知力」を高めることです。
本著の32ページに記載があるのですが、そもそも自分の偏りを認識することができなければ、新しい考え方にはなりません。
そのため、思考のクセづけが必要になります。
つまり、一旦議論中に一呼吸を置いて、自分の考えに偏りがあるのか、ないのか、について立ち止まって客観視することが必要になります。
大体が、「議論がかみ合わない原因は相手にある。私は悪くない」(p.33より)と思ってしまい、そこで思考を停止してしまうケースがあります。これは私もよくやってしまいがちです。
しかし、トップアスリートとか監督はよく言いますよね。
「責任は〇〇だけにあるわけではない、責任は私にもあります。」
これはリップサービスでもなんでもありません。
両方に確かに何かが存在しているのです。その何かを丁寧に紐解こうとする姿勢がアンコンシャス・バイアスに気づく力を育むことにつながると思います。
このようなアプローチを例えば学校の授業では、PBL (プロジェクト型学習)等でのディスカッションで場数を踏む必要があるでしょう。
また、ここまで述べてきたのはアンコンシャス・バイアスという言葉を中心に据えて話をしてきましたが、結局はクリティカル・シンキング力です。
前提として「こうである」や「普通こうだ」のように存在する論に対して、それって本当?と疑うだけで、気づく機会が増えます。
やはり全てはクリティカル・シンキングをトレーニングすることで、アンコンシャス・バイアスも一つずつ減っていくのです。
まとめ
まとめになりますが、まずはアンコンシャス・バイアスということを知るということ、そして、誰もが無意識のうちになんらかの偏見を持っている事実を知る、ことが大事です。
その上で、自分の持っているアンコンシャス・バイアスを減らしていくための作業として、気づく力、すなわちクリティカル・シンキングを行う。
端的にまとめるとこんな感じかなと思います。
私自身もそもそもこのブログですらアンコンシャス・バイアスを含んだ内容になっているかもしれませんし、一言一言の発する言葉にもなんらかの偏りが入っているかもしれない、という点を意識しながら日々コミュニケーションをしていきたいと思います。
また、それを気軽に指摘しあえる、心理的安全性も同時に必要ですね。
皆さんもぜひ参考にしてみてください。
良い1日を!
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