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「データ駆動型」教育が生み出す未来とは?

先日,データ駆動型教育に関する講演を聞く機会があった。
文部科学省の担当の方のお話で,教育データを活用するためのフローや未来を語られていた。
文部科学省がこのプロジェクトをスタートしているため, もうこの流れは止められない。

講演では,きれいな言葉でビジョンが紹介されたものの, 結局は国益につながる人材の育成を求めていることがビンビンに伝わってきた。
絶対とは言わないまでも,実際には,多様な格差が生み出されることになるであろう。(今でもそうなのだが)。つまり,一部のエリートが生み出せられることになる。

平田オリザ先生が揶揄するように, 「ユニクロのシンガポール支店長」を育成する教育である。実際には,多くの子どもたちが,その教育からこぼれていく。

「データ活用」という点は重要である。当然,教師の感覚とデータを連携できれば, もっと子どもの成長のための教育にできることは明らかである。
ただ,それは,数人のエリートを育成するためにあるわけではない。 国を育てる人材も必要だし,自分の住んでいるまちを育てる人材も必要なのである。 その基盤となる資質・能力の形成が必要なのである。 産業界における資質・能力を育成するだけが目的ではない。

データをよくするための教育になってはいけないと強調していたが, 教師という生き物の特性として実際にはそうなるだろう。 おそらく,学力におけるデータばかり注目されるからである。そして,教育委員会もデータを活用することばかりを強調するので後押ししてしまうことになるだろう。

講演においても,前提として教育の哲学があって,その実現にテクノロジーやデータを活用することを強調していたが,現場の教師にきちんと伝わることはないだろう。

これまでも,教師が子どもとの関わりの中で, 家族構成,家庭環境,親の仕事,親の収入,子どもの習い事,発達特性,病歴,生活態度,進路など, これまで教師が独自に情報を収集し,分析して子ども理解につなげていた。 これがデータとして蓄積され,AI等での分析が可能となるだろう。
実際には,教師がデータを分析するというよりは専門業者に外部委託し,そのデータを読解→適用できる力が必要なのだろう。

合わせて,講演でも言っていたが,ELSI問題(倫理的・法的・社会課題等)がある。 この解決には,まだ時間はかかるだろうが,少しずつ進んでいくのは間違いない。

社会科においても,データやAIを活用した授業づくりが求められるのだろう。

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