教育の名著が販売されているサイト
はじめに
教育本はAmazonにも販売されている。今風の内容が多く,主体的な学びや個別最適な学びなどタイトルが陳腐なものが多い。それでも現代の本にも多く良書がある。良書にあたると教育の幅が広がる。
それでも,読むべき本は現代の本だけではない。昔の本も読むべきだろう。昔の本は時代遅れと思われ、幼稚と誤解するのなら大きな過ちだ。カントの純粋理性批判を読んで内容が稚拙とバカにできるだろうか?トルストイの戦争と平和が前時代的なものと一蹴できるだろうか?古かろうと新しかろうとよい読み物はよく,流行に流される本はいつか消えていく。
古い書物にも価値がある
簡単な具体例から
モーツァルトやベートーベン,ショパンの曲が作られたのは明治時代よりも昔だが「200年以上も前の古臭いもの」とは思わないだろう。何なら美しい音楽として認められる。One way GenerationやNostalgiaは30年以上前の曲のはずだけど今のj-popより優れていると思う。j-pop黄金期の曲は今でも聴かれる回数は多く,その価値を卑下する者はいないだろう。
しかし,90年代や00年代の有名な曲がすべて名曲とも限らない。もしくは,一部では好かれているけど個人的には嫌いな歌手もいるだろう。
10年代の曲はあまり聞かれないけど探してみればいい曲はある。ただ,それが有名か一部で有名かマイナーかの違いだけ。
これは音楽の例ではあるが,小説でも学術書でも同じであろう。古きを知ることで新しい発見があるかもしれない。純粋な面白い書物と出会うといったよさや現在の学問では見落とされている点に対し指摘して書物もある。
学問は昔より今の方が進歩しているに違いない。そのため新しい知見を欲しいなら最新の研究があるに越したことはない。だから新しい研究や書物が第一だと思うかもしれない。ただし,新しい研究が正しいもの/よいものというものではないのだと思う。新しい研究が役立ち,面白いとも限らず「新しいだけ」で持て囃されている面は否定できない。
本来は,古い-新しいの二元論で考えること自体がよくないのだろうが,どうしても古い書物というのはその価値が正統評価されていないように見える。古い=古臭いという過小評価もされがちだが,一方で古い=伝統的で手の届かない場所にあるという過大評価もされている気がする。○○時代の書物でなくて,単なる一書物としての評価がされるべき。
教育学の場合どのような本がよいか
一番安全なのは○○名著を読むことだろう。ただし既に絶版である可能性が高い。次にお勧めしたいのは「学校と社会」などデューイの本を読むこと。世界的に有名な教育学者の最も有名な本を読むことは重要だと思う。
それでも実務家にとっては理論ではなく実践に即生かせる内容が欲しい。そこで冒頭に登場した明治図書オンラインの復刻投票や復刻版の販売。これらの本の中から目次や同じく復刻を望む人のコメントを読んで,読みたい本を選ぶ。いつも読む本が近年の本ばかりなら逆に新しい風が吹くに違いない。
その目次や内容,批評に触れて本を噛み締めることが重要なこと。それでも自分に合う本や合わない本の違いはある。有名=自分に合うとは限らないので,難しいところではある。無名な著者やスポットライトを当てられていなかったテーマや時代,文化の本が思わず掘り出し物だったということも珍しくない。