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東井義雄先生に学ぶ

 皆さんは、東井義雄先生をご存知でしょうか。東井義雄先生は、兵庫県出生の学校の教師でした。生活綴り方教育を基軸に、兵庫県の山村の田舎で行われた実践がSNSも無い時代に、全国区で有名になった方です。その実績が認められて、広島大学からペスタロッチ賞という名誉ある賞をもらっています。その東井義雄先生のご活躍を少しだけ紹介します。

目次
1 校長として最後の学校、八鹿小学校にて
2 東井先生の人間力
3 時代は変わっても、変わらないもの

1 校長として最後の学校、八鹿小学校にて

 東井義雄先生は、養父市立八鹿小学校にて最後の校長職に就き、8年勤めたあと、定年退職しています。校長としての実践や考えが、今も現校長はじめ学校の職員に根付いています。
 現在の八鹿小学校では、毎月東井義雄先生の詩を子どもたちに紹介し、子どもたちが普段の生活を見つめられるよう現在の先生たちが実践しておられます。
 現校長先生とお話しした際、運動場にあるイチョウの木を紹介されました。そのイチョウの木は100年以上前に植えられ、東井先生が勤められていた時にもあったそうです。東井先生は、子どもたちにイチョウの木に注目させ、「あのイチョウの木の根はどこまで続いているのだろうか」とおっしゃったそうです。子どもの根を培うことを重視した東井先生らしいお言葉だと思います。
 このような東井先生の言葉が今でも八鹿小学校に伝わっており、東井実践を感じることができます。以下に、さらに詳しく東井実践をご紹介していきます。

2 東井先生の人間力
(1)いのちの教育に目覚めた瞬間

 東井義雄先生はいのちの教育に尽力されました。命の「ただごとでなさ」に気づき、子どもが自らの命と向き合い、自らを育てていける子になるよう関わり続けられました。
 東井先生がいのちの教育に目覚めた時の話が残っています。
 師範学校2年生の時に、「独来独去無一従者」という漢文に出合います。これは、「独り来たり独り去りて、一も従う者無し。」つまり、私達は独りで生まれ、独りで老い、独りで病み、独りで死んでいかねばならない、という意味です。この漢文を見て、東井先生は「母はとっくにいってしまった。父もやがていってしまう。私もいつかひとりぼっちになってしまう。」と悟ったそうです。
 また、父の死後、愛児が大病を患います。愛児について以下の詩を残しています。

小さい心臓
小さい心臓がけんめいに戦っている
ほとんどたえだえになりながら
なお戦っている
戦いに勝っておくれ 心臓
みちよは「私」の子ではなかった
みちよは仏さまの子
それだのに 
父ちゃんはお前を
「私」の子だなんて思いすぎていた
敬わねばならんのに
私は教師として
六十の子どもを敬いつつあるのか
しんじつ
ああ 今日も親子でおらせてもらった

看病の日記より

 このような複数の出来事を通して、東井先生はいのちの教育に目覚めていったと言われています。

(2)職員会議での体育倉庫の鍵の話

 東井先生のお人柄がわかるエピソードがあります。ある時、体育館倉庫が荒らされることが続いていたそうです。それを受けて、職員会議でどう対応するかを話し合われて、体育館倉庫に鍵をすることに決定しかけたそうです。
 しかし、そこで、普段怒ったり、考えを押し付けたりすることのなかった東井先生がこのように仰ったそうです。
「子どもを育てることが、私たちの仕事。鍵をすることが果たして、子どもを育てることになるでしょうか。」(言葉で伝えられていることなので、どのように話されたかはわかりませんが、概してこのようなことを話されたそうです。十分東井先生の考え方は伝わるのでは)
 多くの学校で、ルールを守れなかったり、問題行動があったりしたときに、厳しくルールを取り締まったり、ルールを追加したりするのではないでしょうか。しかし、ルールを押し付けることだけでは、子どもの自律は育たないということでしょう。
 「子どもの心に光を灯す」という東井義雄先生の講話録に以下のように書いてあります。

「教育」というものは、欲望の奴隷をじゃなくて、主人公を、育てることなんですね。

子どもの心に光を灯す

また、

教育というのは、
「1日も早く、あの可愛い子どもを、自分の二本の脚で、間違えんように、歩くようにしてやることだ」

子どもの心に光を灯す

ともあります。

(3)八鹿小学校に勤め始めた頃の、若い先生とのやりとり

 校長の東井先生と職員との文面での対話を本にまとめた「培其根」というものがあります。当時は、職員が週案を校長に提出する習慣があったようです。その週案の中で、職員が書いた週の振り返りに対して東井先生は、長い文章を書いて返していたそうです。少ししか書かない職員に対しても、多くの文章を書いて返していました。もちろん、その内容も優れているのでしょうが、長い文章を書いて返すその思い、職員一人一人と向き合う姿勢が、職員の心を動かすのでしょう。
 八鹿小学校の校長として、勤め始めた頃、20代の若い男性の先生が職員の中にいました。その頃、若いこともあり、すでに有名であった東井先生に対して反発する姿勢をとっていたそうです。週案に書く文章も短かったようです。しかし、東井先生は、その職員の週案に、隙間がなくなるほど、紙の端まで使って、長い時には裏まで使って文章を書いて返していました。そうするうちに、若い職員は「根負けした、観念した」と言って、東井先生とともに教育に向かうようになったそうです。
 培其根の中で、この若い先生が子どもの作文に対してコメントをした文章に、さらに東井先生がコメントをしていたページがありました。子どもは、落ちているゴミを無くすにはどうしたら良いかと考え、いくらゴミを落とされても拾ってやるという気概を見せる内容を書いていました。東井先生は「自分は、ゴミが落ちていたら『またか』と思うけれど、この子どもの姿勢から学ぶことができた」といった内容を返していました。このような、子どもに対して対等な姿勢、尊敬する姿勢をもっていたからこそ、子どもたちは変わっていったのではないかと推察します。

3 時代は変わっても、変わらないもの

(1)いのちの教育

 不易と流行という言葉がありますが、まさに東井義雄先生から、教育の不易の部分を学べるのではないかと思います。時代が変わり、society5.0の時代においても、人の心、悩み、発達など変わらないものも多くあるでしょう。
 中でも、いのちの教育はむしろ重要となっていくのではないでしょうか。いのちの「ただごとでなさ」をもっと教師や親は感じて、子どもに自身の命はただごとではないのだということを伝えていきたいものです。現在日本での自死数は年間3万人を越えます。

(2)子どもへの尊敬

 現在多くの教育の場面で、子どもへの尊敬が失われた姿を見ることがあります。子どもへ上から物事を押し付ける教師や親の姿があります。東井義雄先生のように、時間がかかりますが、生活綴り方教育のような子どもとの対話を重視する中で、子ども自身が自分を見つめ振り返り、自分を高めていけるような教育実践が求められると思います。

(3)子どもの側に立って観る

 体育倉庫の鍵の一件に見られるように、東井義雄先生は、子どもの側に立って教育を見つめることができます。本当に教育で育てることは何かが忘れ去られ、一見教師の言うことを聞いている姿を見て満足する教育になってはいけません。子どもを育てるとは、育つとは、どういうことなのか、今一度東井義雄先生から学び、今現在の教育に生かしていくべきではないでしょうか。


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