【帰国子女】帰国後の学校生活、受験だけじゃない、本当の難しさって
こんにちは。アンバサダーのHirokoです。
台風が多い今年の夏ですが、そんな台風を避けるかのように我が家の大学生は旅行やインターンに海外を飛び回っています。こんなに時間を自由に使えるのも今だけ。今しかできないことを存分にして欲しい。多くの人に出会い、様々なことを吸収して欲しいと思います。
さて、我が家は2度の駐在経験があり2度の帰国がありました。上の子は小4と高3年、下の子は小1と高1で帰国した。帰国してどんな思いがあったのか、日本での生活のどこに苦労したのか。大学生になった上の子は、最近ぽつりぽつりと話してくれることがあります。そしてそれは友人たちも…
日本独特のグループ行動
うちの上の子、1度目の帰国は小4。小学校3年生までの6年間をバンコクで過ごした後でした。当時は母語の大切さを渡航前に説明され、何の疑いもなく日系幼稚園、日本人学校へ進みました。帰国の時はなるべく子供に負担なく生活して欲しいと思い、受験戦争もそれほど激しくなく、半数くらいが中学受験をする、帰国生も少しいる、そんな学校を選びました。なのに…
「あの時が一番大変だった…」
最近、我が子から聞いたその言葉に少し驚きました。
日本人学校から日本の小学校だったし、社交的な娘はすんなり溶け込んでいっている様子だったのに。
「日本の女子独特のグループ行動。ファッション、ドラマ、音楽も知らなきゃいけないって、話題についていかなきゃって思ったから。」
そんなこと。
大人から見たら「そんなこと」のように思ってしまいがちだけど、11歳の子供にとって、小さな小さな学校のコミュニティーが全てだったんだ…改めて子供の世界を感じました。
中学受験を終え、私立中高一貫校で過ごし高1になるタイミングで2度目の駐在の話が持ち上がった時、真っ先に「私、ついて行く!」と言ったのは、「何か違う。誰かに合わせて、誰かを気にして生きていくのはおかしい、堅苦しいのはもう嫌」もしかしたら、そんなことを思っていたのかもしれないなぁ…
日本独特のお当番と漢字文化
現地校で4年間を過ごし、お子さんが小学校中学年で帰国した時の話を聞きました。給食の時、お当番が白衣をきて食事の準備を始めました。日本のルールなんて知る由もない、日本で初めて小学校に通った子。だから給食当番が白衣をきて食事を盛り付けることがわからなかった。だって経験していないのだから。結果、どうしていいかわからず泣きだしてしまったそうです。
帰国生といっても、皆が活発で社交的で、そんな性格であるはずがない。大人しい子も繊細な子もいて当然。
だれも教えてくれない
聞く勇気もない
どうしたらいいの
どうしたら…
その時間がどれほど長く感じただろう
きっと不安で不安で仕方がなかったはず
現地校の学習を優先していたので、日本のことまで手が回らなかった。帰国後、漢字がわからず教科書が、テストが読めないと子供から言われ、全部にふり仮名をさせて欲しいと先生に頼んだの。
行く先々で適応していなかければいけない子供たち、そしてそれを必死で支えようと、できる限りを尽くす親の気持ちを想像すると胸が苦しくなります。
難しいしいからこそ、できることは
帰国後、子供たちの環境は変わります。特にインター校や現地校で過ごしてきたのなら、その環境の変化はとても大きくなるでしょう。それは親の私たちが想像する以上に負荷がかかり難しい。だからこそ、少しの変化に気づき子供の声に耳を傾け、包んであげなきゃいけなかった。寄り添ってあげなきゃいけなかった。
「そうだよね、今までと違うよね。大丈夫、大丈夫だから」と
帰国したあの時は子供の複雑な気持ちに気づけず、目の前の受験に翻弄されていた。私自身も日本に追いつくのが必死だった…追いつかなきゃって思っていた。
そんなことを思い出し反省しながら、それでも逞しく成長し、また海外へ飛び出してく我が子の姿を見て、「なにか違う…そんなことを感じながらでいい、それも含めて自分の力に強さにして…」と願っています。
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