見出し画像

【Edu-more plusライター企画】アメリカ駐在8年!我が家の帰国子女高校受験までの道のり

こちらは、Edu-more plus会員が海外子育て、海外での教育や生活、帰国受験など海外赴任ファミリーの実体験や想いを綴っていただく【Edu-more plusライター企画】の記事です。

アメリカへ旅立って8年という月日が経ち、いよいよこの日がきたのかという本帰国。いろいろ悩んだ末の母子先行帰国でした。まだアメリカにいた昨年の10月ごろからオンライン受験を始めて、今年の1月には帰国してからの受験を終えました。そして、この4月から娘は日本の高校生活に飛び込み、アメリカでなかった悩みにぶち当たっています。


Edu-more plusはオンライン家庭教師のEDUBALが運営しています

初めての渡米は夫が一足先の2016年2月、私が一人っ子の小2の娘を連れて2016年7月、ニューヨーク州の海辺の小さな街でした。それからニューヨーク州には約4年、ジョージア州に3年、ミシガン州に1年という我が家の滞在歴となりました。夫はミシガン州で単身駐在生活を継続中です。

ニューヨーク州:九九が出来ないから土曜日の補習校に入れない!?

あちこち異動した末、娘の学習歴はとても混乱していたように思います。母親としても長く悩み続けた点でした。一箇所に慣れてきたと思ったら、お別れがきてしまう生活をしてきた私達はいつしか勉強も習い事も何においても中途半端という言葉が当てはまるように。

私達はニューヨーク州の郊外へ娘が小2夏休みに到着しました。9月の新学期より現地校の2ndへ編入。海外子女教育振興財団から調達した「サバイバルイングリッシュ」と簡単な単語を書いた単語帳を首からぶら下げ毎日登校。初日は教室がわからず泣き、同級生にいじめられたことも。

カーネギーホールでの合唱の様子。日本人学校のコーラス部の活動。(ニューヨーク州)

同時にその街にいるほとんどの日本人が通う日本人学校のサタデースクールにも入学希望するも定員いっぱいで入れず、モタモタしているうちに九九の出来ない小2となり、そのせいで入学許可が降りず、冬休みの間にそれまでの日本のドリルを泣きながら夜中までやらせる羽目に。

その甲斐あって、空きの出た小2の冬休み明けにようやくサタデースクールに入学できたのでした。現地校では言葉の壁に苦しみながらも沢山の現地のお友達も出来てきた頃、サタデースクール小3、現地校3rdになる夏休み一時帰国明けに事情があり日本に残ることに。

約9ヶ月の間は日本の公立小学校へ。その間、公立小の担任の先生は娘専用の算数ドリルを作成、放課後の補習も手厚く指導してくださいました。さらにカウンセラーも相談に乗ってくれましたし、日本の公立小の手厚さに感動しました。

エレメンタリーのオーケストラのコンサート(ニューヨーク州)

日本での小3生活は、まさに日本の学習に苦悩する日々でした。再び渡米したのは小4の4月、つまり現地校3rdのもうすぐ6月で学期の終わる頃でした。そんな不思議な滞在歴の年月を過ごしながら、ニューヨーク州での生活はあっという間に終盤へ。現地校ではまた英語に苦労しましたが、オーケストラでバイオリンを、補習校ではコーラス部に所属、カーネギーホールで合唱という貴重な経験もできました。

ジョージア州:ニューヨーク州から引越し半年でコロナ禍へ

 小学校最後の年に引越し、また半年でコロナ禍になり、英語の出来ないポンコツ母には既に現地校の勉強を教えられる筈もなく。オンライン授業での家庭内学習は困難を極めました。卒業式もドライブスルー形式に。ジョージアに移ってからは土曜日の補習校はキッパリ辞めて近所にある日系個人塾へ入塾しました。その頃の通塾は日本の学習をただ補習するという役割でした。

  暖炉では季節ごとのデコールを楽しみました(アトランタの自宅)   

再びの慣れない土地での生活がはじまり、まずは現地校に慣れるのが手一杯で、なかなか帰国受験をイメージ出来ずにいる中、コロナ禍になり緊急本帰国や帰国中学受験をするお友達もでてきました。我が家もエレメンタリー最後の年5th、このままオンライン授業が長く続けば通常の学習継続が難しくなるのではと、その当時は何度も母子帰国を悩みました。

お誕生日会(アトランタの自宅前)

結局のところ娘の英語習得が十分ではないことや、日々緊迫してくる渡航状況を考慮し、残ってミドルスクールへ進学することを選択しました。ジョージア州では日本人のほとんど居ない地区での現地校6th。学期初めはオンライン、すぐに登校も始まりましたが今までのお友達がオンラインを選択し、校内にお友達がほとんど居ない状況下で娘は毎日一人でお弁当を食べる日が続きました。オンラインを選択していたお友達が学校に戻ってきた7thで娘の学習能力や英語力は少し伸びたかと思います。

現地校と塾の両立はなかなか厳しいものでしたが、ボランティアクラブ以外は学校でクラブ活動をやらないということで時間を確保していました。小学校ではなかったオーケストラに戻ることが出来たのもミドルスクールで、バイオリンとゴルフの習い事もコロナの落ち着いた最後の1年にじっくりレッスンにも取り組めました。今から振り返るとアメリカで最も充実していた日々がそこにはありました。

ラクロスの試合でコーラス(ジョージアの小学校では1年間コーラスに所属)

ミシガン州:大手塾を辞めることに・・・

 最後のミシガン州では短いけれど受験準備に奔走しました。3度目の引越しは思春期真っ只中の中2から中3の時期になり、帰国を想定していたポンコツ母の勝手な押し付けで、日本式の女子の常識をここで一通り経験して欲しくて、日本人が多く大手日系塾もある地区への引越しとなりました。

まずはジョージア州の小さな日系塾からミシガンにある大手の日系塾への転塾日本人の多い地区の現地校編入は娘にとって大変な変化の多い年となりました。編入した学校で娘はミドルスクール8thを卒業し、ハイスクール9thへ入学、そもそも学習には強い不安感のあった娘。冬休み中に鬼の算数ドリル1冊完成という小2のトラウマもありました。特に数学の苦手な娘にはもっと早く帰国して受験という道もありましたが、せっかくここまで滞米したのだから最後はハイスクールまで経験させてあげたい。そんな思いから受験前ギリギリまでアメリカに残るという選択肢に至りました。帰国受験を意識しながらのハイスクール生活は終始落ち着きませんでしたが、合間に現地校ならではのホームカミングなどイベントも満喫できたように思います。

ミシガン大学の構内

受験準備は日系塾の先生、SNSはもちろん、オンライン学校説明会などで情報収集をしながら目星をつけた学校へ夏休みの一時帰国で学校見学、説明会に参加してきました。

個人塾でマンツーマン指導を受けてきた娘はミシガン州の日系大手塾の大人数クラスに戸惑い、特に分からない数学は質問できないまま授業は終わり、理解しないまま進んでいくという日々に。先生との相性!これは凄く大事なこと。しばらく迷いましたが、受験まで時間がないので思い切って合わない大手塾は辞め、ジョージア州の慣れ親しんだ個人塾オンラインに出戻り、準備していったのでした。受験期にオンライン授業を受けるのは抵抗があったのですが、コロナ禍でオンライン授業はすでに日常に根付く指導法になった今となっては、慣れた先生に再び指導してもらえる安心感は何にも変え難かったと思います。

パンプキンの時期に農場へ(ミシガン州)

帰国高校受験は英検準1級取得が運命の分かれ道に早めの対策が必要!

受験期に英検取得の壁があり、秋のオンライン受験中に4度目の正直で合格しました。受験と英検が同時進行していくのも負担になり、娘はその頃あまりのプレッシャーに精神不安定に。滞米年数が長いのに英検準1級がないことがここまでメンタルに影響するとは思ってもみなかったことです。現地校にただ通っているだけでは英検にも合格しないし、日本の模試でも点を取れないことに気づくのが遅すぎました。英検に関してはとある学校では準1級がないと受験資格も得られないとのことで、条件で受験する選択肢のない学校も。英検準備が遅かったことも志望校選びの明暗を分けてしまいました。

4回目の正直!?英検ニューヨーク会場

無いものを嘆いても仕方ないので個人塾では英検対策に加え3教科、また面接対策など一通りの指導をしてもらい、年内のオンライン入試を3校、年明け帰国入試で2校を受験し4校合格。3教科受験無しでオンライン受験可、入学金を待ってくれる、1年合格を保持できるなどの受験のコスパにこだわり続けました。チャレンジ校が1校しかなかったこと、合格校の特徴が似ている点は最後まで進学先を迷う原因になったかもしれません。もっとしっかり志望校を選定するべきだったかな、という反省点では家族に責められる日もありましたが、最終的に私の中では自信を持って今の学校を勧めました。娘とは自宅からの距離や土曜日の登校の有無、オールイングリッシュでの授業時間数、部活動の内容、入学金の特別待遇、学校の方針など条件を書き出してよく相談しての総合的判断でした。

郷にいれば郷に従えということ

最後にアメリカ生活では3州目にして、ようやく何が必要で何が不要かの見極めも早くなりました。最初の頃は家族皆、早く慣れようと必死でした。最終的には一家を動かしていくのは母親と自負して、塾の送迎、学校の送迎、日々のお買い物、受験生を支える母親が回りやすい動線にすることも受験期には大事なことだと考えました。後から思えばそのへんは自分勝手な生活だったかもしれないけれど、家族全員のストレスが多い駐在生活、ポンコツなりに自己中ですが、お母さんが笑顔でいなければいけないなと悟りました。

ハロウィンの仮装遍歴
2ndのジャスミンに始まり、4thではアリエル、5thはパイレーツオブカリビアン

さらに我が家はハイスクールの途中まで残る道もあったことで、この高校帰国受験が結局正解だったのか今はまだわかりません。ただ一つだけ言えるのは、自分たちで場所を決めて移動できたのは、この駐在生活ではなかったこと。今までは引越した先で学校区の現地校へ入る選択肢しかなかったのが、娘の通う進学先を自分達で決められる受験というのはかなり新鮮な体験でしたし、自分で決めるということは責任も自分で負うということ。娘にはその覚悟を持って新生活を送っていってもらいたい。新たに辛いこともあれば楽しいこともある日本での毎日が始まりました。

ハロウィンの仮装遍歴 
6thはクレオパトラ、7thはミニーちゃん、8thはくまのプーさんでした

アメリカでは行く場所が勝手に決まり、行く学校も勝手に決まる生活の中で時に何かにぶち当たると「周りにずっと振り回されてきたんだ!自分の好きでやってるんじゃない」と怒りをぶつけて泣いたり叫んだり。正直そんな状況がいまだにあり、凹むこともあるポンコツ母のメンタルですが、新しい生活が始まってしまった今、アメリカとの違いに苦悩困惑する娘をソワソワとヒヤヒヤと心配しながら送り出す日々です。

毎日、日本の生活に驚くことばかりの娘だけど、アメリカにいた時も新たな環境に慣れようと必死に対処してきた娘。それはきっと新しい何かを生み出すこと。郷にいれば郷に従えの精神忘れないで。

こちらの記事へのコメントやEdu-more plusへのご意見・お問い合わせは
メール(
info.edubalmore@gmail.com)でお気軽にどうぞ!