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ロビンソン&アロニカ(2019)『Creative Schools 創造性が育つ世界最先端の教育』 pert2

本日は、第2章を。テーマは<新しいメタファーを見つける>

 第1章に引き続き、今までの近代教育の工業的な教育の特徴を踏まえて、現代にはあっていないことを述べた上で、現代にあう教育はどのようなものなのかを考えている。

 現代には合っていないとする工業プロセスの特徴について、「特定の規則や基準の順守が求められること」、年齢で分けて教育する「直線的」構造であることなどが挙げられている。この特徴は、基準に満たないものを「能力の劣るもの」とみなすような学校の傾向ともつながってくるとしている。

 公立中学校で勤務していた時、特に強く感じたのは、性格もよく、人としても素敵な良さをもつ子供たちなのに、「勉強ができない」がゆえに、「劣等生」とみなす評価をつけなくてはならず、彼らも、こちらも葛藤が生じ、苦痛が生じていた。本来彼らの持つ能力を全く伸ばせずに、「勉強」という枠組みの中でのみ彼らをどうにかしようとしていた。また、どうにもならなかった。

『教育は命のあるシステムである』と2章にも書いてあったが、本来、人として評価したい、人の良さやコミュニケーション能力、笑顔、人当たりの良さなどは、今の学校教育の評価システムでは数値化もされず、表面化しない。その部分で、一気に生命力を失い死んだものとされてしまう。

今回、この章に上がっていた例は、非常に希望的であると感じた。「子どもたちが実際の状況でそういうスキルを試せるようにしよう」と診察室やテレビ局、ラジオ局を作って、子どもたちの学ぶ意欲を引き出した小学校の例。子供が情熱をかけられる、実際の車をリメイクするというプロジェクトを用意し、子供たちの人生を逆転させた「マインドドライブ」の実践例。

私も、現在教師を務めているからには、どのようにしたら子供たちの能力を最大限引き出すことができるのか?を考えていかなくてはならないと強く感じた。

教師が子供の持っている能力を過小評価していないだろうか。目の前にいる子供は本来の能力を本当に発揮しているか?私たちが、その場を用意できていないだけではないか?「落ちこぼして」はいないか?

真摯に向き合うべき問題が、「規格外」の生徒たちの姿にたくさんあるように思う。

楽しい学び、教師もワクワクする学びを作っていきたいものだ。



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