息子、初めてのカラオケに行く~タラの土は赤い
先週の土曜日、息子を連れてカラオケに行きました。
息子は初めてです。
休日ですから受付も混みあって十代の男の子女の子で賑わっている。
息子は「なんだここは!」って感じでキョロキョロしてます。
5歳の子供なんていないですから、ビックリするよね。大人の世界覗き見って感じでしょうか。
部屋に入ると大きなテレビがあって、よその部屋から歌い声が漏れて聞こえてくるし、タッチパネル式のリモコンもワクワクさせる。
最初は笛の練習をするつもりでいたのですが、息子がリモコンを使いたいというので一緒に操作してみました。
「なんの歌がいい?君の知ってるのいれてあげるよ」
「ぼくが歌うからね。ぼくが歌うやつだよ」
はいはい。じゃあこれでどうでしょうか。
歌うと言っても大人のようにはいかなくて、歌詞をボソボソと呟くだけなのですがこれでもなかなか良いようです。
私もいくつか一緒に歌ってあっという間に一時間たってしまいました。
その日はそれでおしまいにして清算後エレベーターに乗ると息子が大きくため息をつきます。
「はぁぁぁ~ めっちゃ楽しかったよっっ!!!」
ええ!?
そ、そんなに?
「明日はぼく踊るからね。あとピアノも持っていくからね!」
(なんで明日も行くことになってんだ)
「わかったわかった。じゃあ、またいこうね」
いや〜そんなに楽しめたんなら、もっとはやく来ればよかったね。
そうだよね、歌うって楽しいよね。
あんなに若い人でいっぱいだったもんなぁ。
週末の夜はオッサン大人で賑わってるし、平日はシニアで賑わってる。
歌うって楽しいし、なんだかスッキリするもんね。
息子にとっては“”子供用の場所”じゃなかったのが良かったんだろうな。
(激弱喉の私はAdо一曲ではりついてしまいましたが)
音楽について何にも知らなくても、楽器を持ってなくても、自分一つで楽しめる。
お友達と一緒ならなお良いし、大勢が一緒に楽しめるのは音楽くらいだもんな。
私は昔、月一以上ペースでライブに行ってた時期がありました。(息子が生まれる前)
キャパ500のライブハウスからアリーナまで色々と行きましたが、
当たり前だけど、みんなにこにこしてる。
右を向いても左を向いてもみんなこの世に嫌なことなんて一つも知らないような顔で、グッズのタオルを首からかけてる。
演奏が始まれば、みんな一斉に音楽に自分をチューニングして、
おもいおもいに体を揺らすとさざ波にのよう。
不運や諍いについて考える必要もない。
そんなライブ会場というのは貴重な空間だなと思います。
(音楽が鳴り止むと、とたんにバラバラになってしまうのも人間ですが)
普段は息子にきっちりきっちりピアノの練習をさせているけれど、それだけが音楽じゃないからさ。
ぜんぜんないからさ。
カラオケもいいよね、またいこうね。
ボ・ガンボスと缶酎ハイ
週末、金曜の夜にビールと缶酎ハイを飲みながら料理をするのが私のささやかな楽しみです。もちろん音楽をおともに。
YouTubeで好きなアーティストのライブ映像を探して、ぷしゅっと。
これがたまんないんだよねー。
熱いんだよなぁぁ。
西だよなー。
汗と労働のかおりがいんだよなぁぁ。
みんなにっこにこじゃん。
岡村ちゃん大好き。小出祐介大好き。
音楽に限ったことではないですが、上手いとか下手とかそんな基準でははかれない何かがあるものです。(上手いのは大前提ですし)
むしろ上手い下手だけならスポーツと変わらないもんね。
どんとの苦しそうな歌声を聴くと、自分の中で何かがガタガタとぐらつくような気がしてきます。
ほろ酔いで口ずさんでいたら、息子が
「これだれ?」
「ん?どんと」
「この人なんで間違えちゃうの?」
うーーん。なんでだろうねぇ。
間違えて間違えて、また間違えちゃって、
あぁ、間違えちゃったって思うのかもねぇ。
大人なら、叶わなかったことの一つや二つあるもんさ。
ま、君にはわからないか、ハハハ。
いつもは忘れている思い出を缶酎ハイで流し込む金曜の夜。
ママは大人だからさ、ハハハ。
生ピとエレピは違うというけれど
息子を音楽教室に通わせていると楽器屋が
「ピアノ買え〜、いつ買うんだ〜」
と言ってきます。めっちゃ言われます。
うちは電子ピアノしか無理なので、そのことを話すと
「今時の電子ピアノはすごいですよ!ピアノと変わりませんよ!(それなりのお値段しますけど)」とおっしゃる。
いやいや、流石にピアノと一緒ってことはないでしょと思いつつも、息子のことを考えるとそれなりのお値段のものがいいのかしらと悩む親心。
YouTubeで電子ピアノのレビューやそもそも生ピとエレピの何が違うのかといった動画をみると、色んな人がガヤガヤと言っています。
ついつい見すぎてしまって結局、
「もぉーー、どっちゃでもええわ!!」
となってくる。
音が違う、タッチが違うと言われてもよぉ。
そら違うのはわかるよ、私でも。
でもさ、家に置けなきゃどうしようもないもん。
エアグランドピアノで練習するわけにもいかないでしょ。
そもそも電子ピアノが楽器じゃないなら、
飲み屋で飲んだくれて二軒目のカラオケ屋で大して仲良くもない同僚と肩を組んでがなってるサラリーマンたちは何をしてるっていうんだ。(昔はよくいたよ、中野に)
あれは音楽じゃないだなんて、そんなこと言わせないぞ!
文学は実学である
これは昔私が学生時代に詩を勉強していた時の先生の言葉です。
文学は役に立たないと思われているけれど、いや文学こそが実学なのだ。
物を生産したりお金に変換することはできないが、還暦を過ぎ古希にも手が届こうという人間が風呂場で一人湯船に浸かりながら「自分の人生とは結局なんだったんだろうか」とふと考える、
そんな時、文学が必要なんだ、と。
私は「ピアノが弾けると頭が良くなる」なんてご利益を期待して息子にピアノをやらせてるわけじゃないし、本を読むと色んなことを疑似体験できるから価値があるとかいうバカバカしい理由から息子に本を読ませようとも思ってない。(好きにしてくれ)
それでも、スカーレット・オハラがタラの赤い土を掴んで立ち上がるように、
彼の内側に最後に掴める音楽や物語があってほしい。
そう願って、第九を弾かせたりイーリアスも読んで聞かせる。
それこそが実学であると信じているからです。
ならばカラオケはどうだろう。
雑居ビルの居酒屋を出て、帰ってもいいけど帰りたくない大人たちが
週末のカラオケ店でいつもは隠している自分の大事なあの歌を、酔いに任せて歌ってみる。
しょうもないと分かっていても、ついつい飲んだくれてしまう深夜、
彼らに音楽は効いているのだ。