新たな円安レンジに入った円相場 2回目
新たな円安レンジに入った円相場 2回目
先週も円安は進み7月3日には一時1ドル=161.95円となった。2024年に入ると円はドルだけでなくトルコリラを含む世界中の(自由に取引されている)全通貨に対して下落している。
さて先週の1回目のポイントは2つあった。
1つは、ドル円が1986年12月以来、37年半ぶりの円安水準となっているが、より重要なことは土地・バブルが弾けて日本全体がパニック的に売り叩かれていた1990年4月の1ドル=160.35円を突破したことにより、この37年半の「大きな取引レンジ」を抜けて新たな円安レンジに入り、さらに円安の目途も無くなっているように見えることである。
目途らしきものは1985年2月の1ドル=263円まで無い。そこからのドル円は、1985年9月の「プラザ合意」、1987年10月のブラックマンデーを経て、1987年12月には1ドル=121円台になってしまっていた。この時代の円高とボラティリティは「すざまじい」ものだった。
もう1つは、この37年半の「大きな取引レンジ」のうち1986年12月~2021年12月の35年間は、「ひたすら」円高となり、またボラティリティが低下していった時代である。しかしこの35年間は2022年1月頃に「唐突に」終わり円安とボラティリティ拡大の時代となっているが、そこからまだ2年半しか経っていない。
それまでの35年間に蓄積された円高とボラティリティ低下のエネルギーが、いま放出されていることになる。35年間ではなく、金とドルの交換が停止されて1ドル=360円の固定相場時代が終わった1971年8月の「ニクソンショック」まで遡ると50年間に蓄積され続けたエネルギーが、いま放出されていることになる。
その35年間の(あるいは50年間の)エネルギーは2022年1月頃からの「たった」2年半ですべて放出されたはずがない。まさに円安もボラティリティ拡大も「始まったばかり」と考えるべきである。
そこで今週はこのテーマの続き(2回目)として、その2022年1月頃から現在までの2年半を「じっくり」と検証する。この間の重要な出来事は、新型コロナ蔓延に対応する大規模な金融緩和と、ロシアのウクライナ侵攻が引き起こした(とされる)世界中の物価上昇加速であるが、本当にそれだけで35年間の(あるいは50年間)円高とボラティリティ低下が、円安とボラティリティ拡大に「大転換」したのかも検証する必要がある。その他の重要な要因を見落としている可能性もある。
この辺は少し長めの円相場チャートを眺めれば「なんとなく」感じられるものであるが、そんな直感だけではなく理論的に考えてみなければならない。前置きが長くなったので、本題に入る。
その4 新型コロナに対応するための大規模な金融緩和・量的緩和 2020年3月~
(番号は先週の1回目からの通し番号)
2020年3月に新型コロナの感染拡大で世界中の経済活動が止まり、株式市場が急落した。新型コロナは少なくともその半年以上前に出現して被害も出ていたが、世界中のパニックが極限に達した時期が2020年3月からの数か月である。
そこで先進国の中央銀行が一斉に政策金利を「ほとんどゼロ」に引き下げ、途上国の中央銀行も大幅に引き下げる。具体的にはFRBが0.0~0.25%に、英国中央銀行が0.1%に、カナダとオーストラリア中央銀行も0.10%に引き下げる。その時点でマイナス政策金利だった日銀、ECB、スイス、スウェーデン、デンマークの各中央銀行は、そのままのマイナス政策金利を維持することになる。
さらにFRB、ECB、日銀、イングランド銀行など主要中央銀行が国債等の資産を大規模に買い入れ、また金融機関への融資を大幅に拡大させる「未曾有の量的緩和」に踏み切る。ECBと日銀はそれ以前から量的緩和を継続していたが、ECBは新たな買い入れプログラムを追加して買い入れ額を大幅に増させる。日銀は目立って増加させなかった。
主要中央銀行が国債等を大規模に買い入れることにより、政府のコロナ対策の財政支出拡大のための国債増発を手助けしていた。新型コロナの感染拡大はその後も続くが、まず世界の株式市場急落は1か月程度で止まり反発に転じ、経済活動も2020年秋頃にはかなり回復していた。しかし各国とも簡単に「ほとんどゼロ金利やマイナス金利」と「未曾有の量的緩和」を解除できない。
その結果、世界中で物価が上昇し始める。消費者物価指数(総合、以下同じ)の前年同月比上昇率は米国で2021年3月に長期目標の2.0%を越え、英国は2021年5月に、ユーロ圏は2021年7月に2.0%を越える。一方でスイスは2021年4月に、日本は2021年6月に「ようやく」プラスに浮上する。
この時期の物価上昇は経済活動の復活による需要拡大の影響ではなく、新型コロナで世界中の供給が落ち込んでいた影響が大きい。原油価格(WTI)は2020年に先物価格が一時マイナスとなっていたが(先物受け渡し原油の保管施設が満杯で新たに受け入れられず買い手が窮地となったから)、2021年1月末に「ようやく」1バレル=50ドルを回復する。
その5 ロシアによるウクライナ侵攻開始 2022年2月24日~
ところがその後も世界中の物価は上昇を続ける。ここで2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻し、資源大国であるロシアからの原油・天然ガスの輸入やウクライナからの穀物輸入が止まったため、世界中の物価上昇が加速したと言われているが、実はその直前である2022年1月の消費者物価指数の前年同月比上昇率は、米国が7.5%、ユーロ圏が5.1%、英国が5.5%、オーストラリアが5.1%と、それぞれ「結構」上昇していた。
一方でスイスは1.6%、日本はまだ0.5%だった。
また原油価格(WTI)は2022年1月末に1バレル=88ドル台だったが、ウクライナ侵攻直後の2020年3月には一時1バレル=130ドルとなる。しかし直近は1バレル=82ドル台でウクライナ侵攻前より安くなっている。また商品価格全般の値動きを示すCRB指数はボトムとなった2020年4月の110ポイントが2022年1月末には252ポイントとなっていた。CRB指数も2022年6月の325ポイントがピークであるが、こちらは直近でも293ポイント台と高止まったままである。非鉄金属やコーヒーやゴムなどの値上がりが続いているからである。
この間の(ウクライナ侵攻開始前の)世界で物価上昇が続いていた主な理由は、依然として供給要因とくに資源国を中心とした売り惜しみ、それに投機資金の流入や労働力不足により人件費高騰や便乗値上げなどが加わった「複合的」なものだったと考える。つまりロシアのウクライナ侵攻が世界の物価上昇を加速させた犯人であるとの説は、あまり正しくない。
実際にウクライナ侵攻による資源価格の高騰は比較的短期間で収束している。消費者物価の前年同月比上昇率のピークはウクライナ侵攻直後で、米国が2022年6月の9.1%、ユーロ圏が2022年10月の10.7%、英国も2022年10月の11.1%、オーストラリアも2022年10月の7.8%である。
一方でスイスの物価上昇のピークは2022年8月の3.5%、日本は2023年1月の4.3%である。すべての国では消費者物価の前年同月比上昇率がピークをつけて低下に向かうが、上昇率がプラスである限り物価は急上昇後も「緩やかに」上昇を続けていることになる。
その6 それでは主要中央銀行の政策金利はどう動いたか?
主要中央銀行の利上げ開始は遅れていたが、それでも利上げ開始が早かった順番に並べてみる。ここでは米国、ユーロ圏、英国、オーストラリア、それにスイスと日本を比較する。
まず英国中央銀行が2021年12月に政策金利を0.1%から0.25%とし、そのまま2023年8月の5.25%まで引き上げる。英国経済は今回政権交代となったほど低迷しており、2024年8月には利下げとなるはずである。英国の2024年5月の消費者物価は前年同月比2.0%上昇まで低下しているが、エネルギーと食品を除いたコアは3.5%上昇している。
次いでFRBが2022年3月に政策金利を0.0~0.25%から0.25~0.50%とし、そのまま2023年7月の5.25~5.50%まで引き上げる。その後は何度も利下げが近いと期待されながら物価上昇率の高止まりから見送られてきたが、さすがに2024年中に1~2回の利下げがありそうである。米国の5月消費者物価は同3.3%上昇となっている。
さらにオーストラリア中央銀行が2022年5月に0.1%から0.35%とし、そのまま2023年11月の4.35%まで引き上げる。オーストラリアの2024年5月の消費者物価は同4.0%上昇しており、利下げはまだ先のようである。
そしてECBが2022年7月に政策金利(ECBから金融機関への貸出基準金利)を0.0%から0.5%とし、そのまま2023年9月の4.5%まで引き上げるが、2024年6月に4.25%に引き下げている。またユーロ圏の消費者物価は2024年6月に同2.5%上昇まで落ち着いている。
長く大幅なマイナス金利を続けていたスイス中央銀行は、2022年10月にマイナス0.25%から一気に0.50%としてマイナス金利を解消し、そのまま2023年6月の1.75%まで引き上げる。しかしそこから2024年3月と6月に0.25%ずつ引き下げて1.25%としている。スイスの6月の消費者物価は前年同月比1.3%上昇まで低下している。
日本では消費者物価が2023年1月に同4.3%まで上昇していたが、日銀は「まだ2%の物価上昇目標は安定的に実現していない」としてマイナス金利を継続していた。ようやく2024年3月にマイナス金利を解消して政策金利を0.0~0.1%とした。日本の2024年5月の消費者物価(総合)は前年同月日2.8%上昇と「結構」高止まっているため、さらなる利上げ予想が出てきてもおかしくはない。
つまり主要中央銀行の政策金利の「現在位置」は、すでに利下げに踏み切っているスイス中央銀行とECB、まもなく利下げに踏み切らざるを得ない英国中央銀行、何とか年内に利下げとなりそうなFRB、まだまだ利下げが遠いオーストラリア中央銀行、それにこれから「周回遅れ」の利上げも想定される日銀の順番に並ぶ。
つまり2023年12月末から現在まで半年間程度の金融政策の方向性だけ見ると、円は最も強くなっても良さそうである。
さらによく言われる通貨供給量と為替の関係も(通貨供給量の多い通貨は需給関係から下落する)、データが簡単に取れるFRB、ECB、日銀の総資産を2021年12月末と直近の2024年6月末で比較すると、FRBが8.80兆ドルから7.27兆ドルまで17.4%減り、ECBが8.56兆ユーロから6.52兆ユーロまで23.8%減り、日銀は723兆円から753兆円まで4.1%増えている。
日銀の総資産は外国人の大量国債カラ売りをYCCの上限利回り維持のため買い支えた結果、2022年度だけで日銀の国債保有残高が55兆円も増えた影響であるが、結果的に日銀の通貨供給量(必ず総資産に反映される)は微増となり、FRBとECBは「かなり」減っていた。
この間(2021年12月末から現在まで)の円は、ユーロとドルに対して下落しているはずとなる。
その7 それぞれの期間中に円は主要通貨に対してどう動いたか?
2023年12月末から先週末(2024年7月5日)までの円は、ドルに対して14.0%、ユーロに対して11.8%、ポンドに対して14.8%、オーストラリアドルに対して12.9%、スイスフランに対して7.1%と「それぞれ」下落している。
つまり直近を含むここ半年の間は主要国で日銀「だけ」が利上げの可能性があったにも関わらず、円は主要通貨の中で「最弱」だった。
単純に日本は物価上昇率に比べて政策金利が「異常に」低いままなので、「多少の」利上げが予想されていても、円はすべての主要通貨に対して下落していたとしか言いようがない。その円の主要通貨に対する下落率は、単純に主要通貨の政策金利の高い順番に並んでいるように見える。
これでは理論的な説明になっていないが、少なくとも政策金利と為替の関係は、政策金利の「方向」ではなく「水準」がより重要であるとは言えるかもしれない。
一方で2021年12月末から先週末までの円は、ドルに対して39.6%、ユーロに対して32.9%、ポンドに対して32.3%、オーストラリアドルに対して29.5%、スイスフランに対して42.1%も「それぞれ」下落している。やはり円は圧倒的に最弱通貨である。
何度も書いているように円相場は2022年1月頃に円高から円安に「大転換」してボラティリティも拡大しているため、それだけ円の主要通貨に対する下落率が大きくなっている。
確かに円は、この間にユーロとドルに対しても下落しているが、下落率はゼロ金利を解消しているスイスフランに対して最も大きく、ユーロとドルの通貨供給量が円に比べて減っていることだけが、円が主要通貨に対して下落している主要な理由でもなさそうである。
ここまで2022年1月頃に円相場がそれまで35年間あるいは50年間の円高とボラティリティ拡大から、円安とボラティリティ低下に「大きく転換した」理由と、なぜそのタイミングが2022年1月頃だったのかを、その間の主要な出来事と金融市場の「通説」に沿って探し出そうとしたが、どうも正解に行き着いているとは思えない。
まだ検証に使った数字は政策金利(短期金利)と消費者物価指数だけで、長期金利(10年など長期国債利回り)などは使って検証しておらず、また円と比較する通貨も主要通貨だけである。この辺はもっと対象を広げて考えていかなければならない。
しかしこういうアプローチは、まさに評論家がよくやる「後講釈」を探していることに外ならない。つまりあまり意味がない(利益を生みそうにない)アプローチとなる。
それではこれからの円安(しかも円安の目途が無くなっている)とボラティリティ拡大の時代の「強力な武器」とはならない。冒頭の前書きの最後に書いたように、少し長い円相場チャートを眺めれば「なんとなく感じられる」ものであるが、それではあまり科学的な説明になっていない。
従ってこのテーマは今週の2回目で終わるつもりだったが、もう少し続けることにする。来週は個別銘柄を書くつもりである。日経平均は最高値を更新中であるが、よく見ていると「何でまだこんなに安いのか?」と思ってしまう銘柄も結構あるので、その辺から選んで解説したい。
2024年7月8日