バイデンは習近平の「老朋友」

バイデンは習近平の「老朋友」  2021年12月2日に掲載

 少し前の話になるが11月15日にバイデンと習近平が米中オンライン首脳会談を行った。バイデンが米大統領になってから2人は2度電話会談をしているが儀礼的なもので、オンラインであるが直接顔を見ながら「サシの」会談は初めてである。予定を大幅に超過して3時間40分も議論を戦わせた。

 報道によると最初は親しげに始まったものの、肝心の人権問題、中国の軍事増強とくに台湾問題、それに通商問題については意見がかみ合わなかったと伝えられている。ただ北京オリンピックについては話し合われなかったようである。

 しかし日本の報道ではどこを探しても出てこないが、習近平は開口一番バイデンに「老朋友」と呼びかけた。これは「古くからの親しい友人」という意味であるが、「共に良からぬことを行った仲間」というニュアンスが含まれる。こう呼びかけられたバイデンは明らか狼狽し(この中国語は知っていたようである)、以後はずっと習近平ペースとなった。

 ここで全く別の、古い話になる。2012年2月6日の深夜、四川にある米国領事館事館に1人の中国人が亡命を求めて駆け込んだ。同年秋の共産党大会においてトップ(共産党総書記)座を習近平と争っていた薄熙来・重慶市党委員会書記(当時、直轄市・重慶のトップ)の腹心と言われた王立軍・元重慶市公安部長(重慶市の公安・諜報部門トップ)だった。

 中国共産党の大幹部が「いろいろ知り過ぎている」公安・諜報部門の幹部を更迭する(あるいは本当に「行方不明」にしてしまう)ことは珍しくない。王立軍も立場上、薄熙来の汚職・数十億ドルともいわれる不正蓄財、それに加担した英国人実業家を谷開来夫人とその側近が殺害した事件の「証拠」を掴んでいた。王立軍はまさに薄熙来にとって「知り過ぎた男」であり、その直後に重慶市公安部長を解任されていた。王立軍は身の危険を感じてそれら「証拠」を抱えて米国領事館に駆け込んだ。また同時に薄熙来の後ろ盾である江沢民とその一派に関する情報も「たっぷり」抱えていた。

 当時の米国はオバマ政権の1期目であり、副大統領がバイデン、国務長官がヒラリー・クリントン、そして上院外交委員長(2期目の国務長官)がジョン・ケリーで、4名とも明らかな親中派である。それでは米国(オバマ政権)は王立軍の亡命を受け入れたのか?

 結論は、薄熙来や江沢民派に関する「証拠」だけを取り上げて、中国当局に王立軍を引き渡してしまった。その結果、薄熙来は失脚して夫人とともに逮捕され、後に薄熙来と夫人は無期懲役、王立軍も懲役15年となった。

 この薄熙来の失脚をもって、同年(2012年)秋の党大会における習近平のトップ(総書記、中央軍事委員会主席、国家主席)就任がやっと確定的になった。

 その時点における中国共産党の最高機関である党中央政治局常務委員の9名の序列は、トップの胡錦涛(総書記、軍事委員会主席、国家主席)以下、呉邦国(全人代常務委員長)、温家宝(国務院首相)、賈(か)慶林、曽慶紅(国家副主席)、李長春、習近平(副主席兼党軍事委員会副主席)、李克強(国務院副首相)、賀国強(中央規律検査委員会書記)、周永康(後述)の順番である。

 同年(2012年)秋の党大会では序列6位の習近平、同7位の李克強を除く7名が定年(68歳)を過ぎているため自動的に退任となり、習近平は李克強を序列でも役職でもリードしていたため、これだけ見れば次期トップは習近平で「確定」していたように思える。

 ところがその習近平の最大ライバルが薄熙来だった。薄熙来はその時点では一段下の政治局中央委員だったが、3000万人以上の人口を抱える直轄都市・重慶市のトップであり、重慶市の経済発展と綱紀粛清を大胆に進め「独立王国の独裁者」のように振舞っていた。

 それに何よりも薄熙来は江沢民に気に入られていた。また前述の政治局常務委員9名のうち、賈、曽、賀それに周が明確な江沢民派であり、No2の呉も上海勤務が長く江沢民に近い。つまり9名のうち4~5名が江沢民派である。とくに序列9位の周永康は公安・諜報部門、石油閥、それに中国東北部と朝鮮半島の利権を独占していた実力者である。第8位の賀国強も石油閥に近く中央規律検査委員会書記(綱紀粛正部門のトップ)でもあり、賀と周が江沢民利権を取り仕切っていた。

 あとの内訳は共青団が胡錦涛と李克強、太子党が習近平だけ、無派閥が李長春である。つまりこの時代の中国は江沢民派が政治的にも経済的にも圧倒的に強く、習近平の権力構造は大変に貧弱だった。そして江沢民は薄熙来を2012年秋の党大会で一気にトップに押し上げようとしていた。当時の薄熙来は1ランク下の党政治局中央委員だったが、江沢民自身が天安門事件直後に党政治局中央委員兼上海市長から一気にトップの総書記に昇格した前例である。また共産党内部でも習近平より薄熙来の方の評価が高かった。

 それをオバマ政権が「潰した」ことになる。ここで江沢民派が主流を占める常務委員会の中で薄熙来を庇ったのは周永康だけだったが、それが後の周永康の命運を決める。中国史には司馬遷など同じような例が多い。

 それではオバマ政権は何で薄熙来ではなく習近平を選んだのか?王立軍を亡命させ「証拠」を握りつぶせば薄熙来がトップになり、習近平の方が失脚する。確かにその時点では米国には「やり手」の薄熙来より習近平の方が「御し安い」と映ったはずであるが、バイデンの影響もあった。これに先立つ2011年8月、バイデン副大統領(当時)が訪中し、習近平副主席(当時)と会談している。その時点からバイデンは習近平の「老朋友」となり、個人的にもメリットが提供されていたため、必然的に習近平支持を主張したはずである。

 さらに王立軍が米国領事館に駆け込んだ直後の2012年2月13~17日に習近平副主席が訪米しているが、その時のホスト役もバイデン副大統領である。バイデンの訪中から半年しかたっておらず、当時の報道でも火急の議題があったとは思えない。習近平の真の目的は「王立軍が持ち込んだ証拠の確認」で、米国側の真の目的は「江沢民派による薄熙来をトップに据える計画を教えて貸しを作ること」だったはずである。

 江沢民と薄熙来の計画を知った習近平はすぐさま薄熙来の全役職を停止し、重大な規律違反で逮捕させ、後に無期懲役とする。そして党大会を経て2012年11月15日に習近平が胡錦涛から総書記、中央軍事委員会主席、国家主席の全役職を引き継ぎ、「晴れて」中国共産党のトップとなる。

 しかし同時に発表された常務委員会の7名の序列は、トップの習近平から、李克強(国務院首相)、張徳江、兪(ゆ)正声、劉雲山、王岐山、張高麗の順番である。しかしこの時点の常務委員会の中では、張徳江、劉雲山、張高麗は明確に江沢民派であり、兪正声も江沢民に近い。習近平派は数少ない盟友である王岐山だけだった。

 トップとなった習近平もまだまだ常務委員会を江沢民派に握られており、江沢民派の利権も中国東北部と朝鮮半島それに薄熙来の「独立王国」だった重慶市は張徳江(北朝鮮だけは劉雲山)、上海の工業利権は兪正声、石油閥は張高麗が引き継ぎ、習近平は江沢民派から利権をほとんど継承できなかった。つまり発足当初の習近平体制とは、常務委員会も経済利権も「ほとんど江沢民派に抑えられたまま」スタートし、辛うじて中央規律検査委員会書記だけ唯一の盟友である王岐山に託せただけであった。経済・金融が専門の王岐山にとっても満足できる役割ではなかったはずである。

 しかし習近平体制がスタートすると同時に、習近平は王岐山の中央規律検査委員会の権限を大幅に拡大して、次々と政敵を失脚させていく。ところが肝心の江沢民本人はもちろん、江沢民派の中心人物にはほとんど切り込めなかった。

唯一の例外が周永康だった。王岐山は2013年後半から周の周辺調査に取り掛かり、2014年3月までに145億ドル(1.6兆円)相当の一族資産を差し押さえた。そして同年12月にやっと周の党籍をはく奪して、重大な規律違反と汚職で逮捕させた。裁判では2015年6月に無期懲役となった。さすがに元常務委員の逮捕・投獄には習近平体制発足から2年半がかかったことになる。江沢民派から周永康だけが狙われた背景は、前述のように江沢民派で唯一、薄熙来を擁護したからである。ただ周の利権そのものは既に新たな常務委員等に受け継がれており、習近平は「現在も」まだ江沢民派の利権を切り崩すために戦っている。

 そういえば最近、中国の女子テニス選手への性的暴行が暴露された張高麗もこの時期の江沢民派の常務委員で、石油閥の利権を受け継いでいた。張高麗は行方不明になっているが失脚したかどうかは分からない。ただ張高麗も引退しており、石油閥の利権はまだ江沢民派が握っている。2期目に入った習近平体制の常務委員の席を失っているだけある。

 現在の2期目の習近平体制はさすがに常務委員会に明確な江沢民派はいなくなったが、全体に小粒化しており有望な若手もいない。また江沢民派の経済利権はまだあまり確保できていない。さらに発足以来一貫して習近平は人民解放軍を完全に支配できていない。つまり現在でも人民解放軍の軍事行動は、必ずしも習近平の意向通りに動いているわけではない。

2022年秋の党大会では3期目に入るつもりの習近平は、江沢民を含む党長老の意見を一切聞かずに「性急に」「独断で」国内政治、経済、外交の各体制を自分中心に変革しようとしている。当然その歪が出てくることになり、とくに経済政策が失敗すればダメージは大きい。

 習近平の足元は「思ったほど」盤石ではない。しかしバイデンと習近平の「老朋友」としての関係には、こんな長い歴史と複雑な経緯がある。今後の米中関係を考えるにあたり、このバイデンと習近平の「老朋友」としての関係の経緯は頭に入れておかなければならない。

 習近平の現在の立場は、すべて2012年2月6日深夜に王立軍が四川の米国領事館に駆け込んだところから始まっている。そこで薄熙来ではなく習近平を選んだのはオバマ、ヒラリー、バイデンであるが、習近平が副主席だったため副大統領だったバイデンがその前年から習近平のカウンターパーティーになっていただけである。しかし習近平にとってはバイデンこそが「老朋友」であり、そのバイデンが現在は米国大統領となり、習近平は中国の「独裁者」を目指している。

 これだけでも米中関係の複雑さがわかるはずである。

2021年12月2日に掲載