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喪中につき
旅から帰るとそんな書き出しの葉書が届いていた。
富山県から?
聞き覚えのない女性名?
「本年十月下旬に叔母Mが七十二歳にて永眠しました」
Mさんの姪御さんからの知らせだった。
Mさんは私が二十代の頃勤めていた会社の経理部で働いていた。
当時の私にとっては、かなり年上の先輩だった。
私は営業部で男性の補助的仕事だったけれど、お茶をいれて電話を取って伝票を書いて……という仕事が正しく出来ているのかもわからずに、おろおろするばかりの毎日だった。
それに比べてMさんは女一人で自信満々で生きているように見えた。
両親や弟さんは早くに病に倒れ次々に見送ったと聞いていた。
富山県から上京した当初は、お兄さんと共に暮らしていたそうである。
けれどお兄さんは仕事中の交通事故で亡くなったという。
お兄さんが乗っていた会社の古いトラックは、タイヤがすり減っていてブレーキが効かなかった。
労災の訴えをして何やら係争もしたらしい。
そうして一人になったMさんか暮らしていたのは、風呂もなくトイレ共同のアパートだった。
やがて公団住宅の抽選に当たって入間市に引っ越したという。
私が入社したのは、その頃だった。
入間市の公団住宅から都心の会社までけっこうな通勤時間だったが、夜遅くに銭湯に行かずに済むのが嬉しいと言っていた。
Mさんは女だけれど男らしく強い人だった。
強いというのは精神だけではなく肉体的にも強かった。
空手を習っていたのだ。
空手教室で子供たちに教えてもいた。
誘われて私は同僚の女性と共に区立体育館に出かけたこともある。
私も同僚もひどく身体が固いとばれただけだった。
おまけにMさんは登山もしていた。
ヘルメットを被ってハーケンだのザイルだのを使った本格的な岩登りである。
沢登りも始めたと言っていた。
やはり同僚の女性と共に山歩きに誘われたことがある。
同僚は都合が悪いと断ったが、私は同行した。
今となっては、どこの山だったかも覚えていない。
関東近郊の低山だったのだろう。
当時はこんなことの何が面白いのかと思っていた。
まさか後年自分から登山を始めることになろうとは。
Mさんからの誘いを同僚はうまく交わしていたが、私は殆ど応じていた。
何となれば自分に自信がなかったからである。
会社での仕事は出来ないし(そう思い込んでいた)人づきあいも上手くない。
誘われたら断らずにつきあわなければと必死だった。
その会社を辞めたずっと後だが、Mさんと登山仲間を部屋に泊めたことがある。
東中野のアパートに住んでいた頃である。
どこぞの山に出かけるのに朝一番新宿発の電車に乗る必要がある。
東中野は格好の場所である。
寝袋があるから場所を貸してもらうだけでいい。
そう頼まれて泊めたのだ。
二人は寝袋で寝て早朝に出て行った。
逆に私がMさんの自慢の公団住宅に泊まったこともある。
それはもっと後のことだが。
仕事を転々として揚句に引きこもりになっていた私を、遊びに来いと誘ってくれたのである。
考えても見れば、私が他人の家に泊まりに行ったのは彼女の家ぐらいである。
私がその会社を辞めたのは、Mさんが辞めると言ったからである。
彼女を追ったというよりは、自分から会社を辞められるのだと知ったからである。
実を言えば、私は新卒で入った会社を馘首になっている。
試用期間に使い物にならないからと辞めさせられたのである。
そうして入った次の会社でMさんと知り合ったわけだが。
彼女のお陰で〝辞めさせられる〟のではなく〝辞めてやる〟ことも出来るのだと思いついたのだ。
復讐だった。
何に対する復讐か知れないが。
しまった。
どんどん思い出して来たぞ。
私の復讐的退職と異なり、Mさんは会社を辞めて彫刻学校に入学したのだ。
その彫刻学校の初級クラスでMさんに頼まれて私はモデルを務めたのだ。
会社を辞めて雇用保険で暮らしている頃だった。
毎日はるばる入間まで出かけて、首のモデルになったのだ。
その時知ったことだが、初心者はモデルを見ているつもりで見ていない。
出来上がった彫刻の顔はモデルより、作った本人に似ている。
最も見覚えのある顔を作っているのだ。
見ているつもりで見ていない。
今もどこかの家々に私の首の彫刻が転がっているかも知れない。
私より作った本人に似ている顔の彫刻が。
いや、どんどん思い出してしまったが……。
Mさんは背が高く、常に背筋を伸ばして颯爽と歩いていた。
けれどちょっと強引でがさつな印象もあって、次第に疎遠になった。
もう何十年も連絡をとっていなかった。
姪御さんはMさんの住所録にある名前全てに喪中はがきを送ったのだろう。
Mさんを見送ったのは姪御さんだったのか。
しないだろうとは思っていたが、やはり結婚はしなかったのだな。
どういう風に亡くなって、どういう風に見送られたのか。
わざわざ問い合わせる程の間柄ではないけれど。
気になることではある。
Mさんが逝った。
女一人で生きた先輩が。
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Mさんぽい