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【温泉に行った】野沢温泉ふたたび②

旅館と猫と

桐屋旅館の特徴は猫だけではない。
明治21年創業の歴史ある旅館なのだ。
大正時代の古い写真など見れば、かつての繁盛ぶりが伺える。

館内のそこここに見事な壺や絵画が飾られている。
コンクリート建築のようだが、廊下や階段は木造でその意匠も素晴らしい。

建築に疎い私であるからして詳しい説明は致しかねる。
けれど「レトロ」の一言で済ませるにはもったいない造りである。
とりあえず写真を並べる。

これは別館三階に上がる階段かな?

実のところ、写真は私が自室「萩の間」に戻るよすがに撮ったのだ。

だつて本館と別館に別れて入り組んだ複雑な建物なのよ。
長い歴史の間に建て増しが成されたのかしら?

それも今となっては懐かしさを醸し出すわけだが、方向音痴にとってはなかなかの魔宮である。
(方向感覚のある人にとっては、多分それほど複雑じゃないと思う)

我が部屋、萩の間に向う階段 
従業員室に入る隠し扉もあるらしくムギがひっそり待機していた

私が育った昭和時代、温泉旅行といえば団体旅行が主流だった。
それは華やかで賑やかなものだったらしい。
幼かった私には何やら猥雑に感じられる部分もあったが。

令和の今は温泉地には個人旅行者が多い。
さびれかけた街並みは若者や個人旅行者向けに新しくなっている。
猥雑さよりオシャレさが目立つ。
お陰でおひとりさまも悪目立ちしない。

このお宿には、古の華やかさが残っている。
と同時にトイレや洗面所などは新しく改築されている。

猫仕様も完璧である。

障子紙は猫が引っ掻いても破れない丈夫な紙である。
畳もイグサではないから、猫の爪で荒れることもない。

襖紙はちょこっと破れもあったけど。
いいのいいの。
猫がいるなら当然なの。

ケバひとつないきれいな畳

二泊目の夜には、猫の客室係が何匹も遊びに来てくれた。

部屋のドアを細く開けておくと、当然のように入って来るのだ。
この細く開けっ放しにしておく感覚は久しぶりである。
猫を亡くして以来である。

興味津々でやって来るのは若い子猫が多く、手拭いをふりふりするとたちまち狩りの態勢に入る。
大きく手拭いを振りかざせば、見事に跳躍して飛び掛かる。

隠れて飛びかかる隙を狙う

そうだそうだそうだった。
子猫というのは、こういう風に飛んだり跳ねたりするものだった。
妙に懐かしく遊んで、写真を撮ることさえ忘れるのだった。

■三日目

帰る日である。
寝起きにザーザーと強い雨音を聞く。

この雨の中を帰るのかと憂鬱になりつつ朝湯に浸かる。
やはりお宿のお湯はまろやかで優しい。

自分で湯を溜めないで、いきなり湯船に浸れる温泉サイコー!!
と所帯じみた喜びに浸る。

朝食会場を訪れる頃には雨は上がっていた。
よしよし。

そういえば食事の写真を上げていない。
夕食なし朝食ありの宿泊だった。
朝食はバイキングである。

二日目の朝 どこが摂生?
三日目の朝 少しは残した

高血圧を案じて野沢菜も食べなかったが、充分に満足できる内容だった。
温泉卵はマストでしょう。
殊に葱が美味しかった!

自分で準備しないのに何品目も選べて、後片付けもしなくて済む温泉旅館サイコーー!!
とまたやたらに所帯じみた喜びに浸るのだった。

部屋を片付けて荷物をまとめていると、指名手配犯ムギがやって来る。

美しきムギ

すっかり慣れた風に入って来るのは、私も無碍に追い出さなくなっていたからだ。

いいじゃないか。少しばかりおちっこしても。
布団なら洗えばいい……って、洗うのは私じゃないな。
さーせん。
でも、初日以来お下の失敗はしていないムギである。

そしていよいよ部屋を出る時、
「ほら帰るよ。ぐーちゃん、部屋を出ようね」
などと言っている。

いや、ムギですから。

玄関ホールで寛ぐ うめ吉

いつの間にか私にとって猫は全て「ぐーちゃん」になっている。
そうかそうかそうなのか。

仲良し うめ吉&タマ

可愛いのは、うちのぐーちゃんだけなのだ。
そして猫は全て「ぐーちゃん」なのである。
よって猫は全て可愛いのだ。

何だこの意味不明な三段論法は?

まあ、いいじゃないか。
桐屋旅館。
何度も来たいお宿である。
だって子猫たちの成長ぶりを見たいもの。

桐屋旅館 
故ぐーちゃん ついに全猫代表と化す

そして私は雨上がりの中央バスターミナルから飯山行のバスに乗るのだった。




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