なつかし温泉 露天風呂
【※毒入り注意】
どこの旅館だったか……しかと覚えていない。
湯田中温泉だったのは確かである。
まだ温泉旅行に目覚めていない頃だった。
親が信州出身だったから、長野県には気軽に旅行が出来たのだ。
それで何となく長野駅から長野電鉄に乗り、湯田中温泉に行ったのだ。
ほとんど初めての温泉一人旅だった。
社員旅行やら何やらで箱根だの熱海だの温泉旅館に泊まったことはあるけれど。
そこの露天風呂が素晴らしい設えだったのだ。
室内から室外までつながっている湯船なのだ。
部屋の中から日本庭園に出るような塩梅である。
庭園の植え込みだの石灯籠だのを眺めながら、広々とした池につかる趣向である。
考えようによっては自分が池の鯉になったような状況ではあるのだが。
このお風呂にお母さんを入れてあげたいなあ……。
そう素直に思った。
こういうゴージャスなものが好きなミーハーな母であるのだ。
その頃、既に私は親とは縁を切っていた。
別にそう宣言したわけではないが、帰省しなくなり連絡もしなくなっていた。(詳細は省く)
だから、実際に母親をこの温泉地に招くことはなかった。
それでも湯に浸かっている間、ずっと心の中で繰り返していた。
ここにお母さんを連れて来てあげたいなあ……。
実際に母親が喜ぶだろうことをしたこともある。
縁切り前だが。
母方のいとこ姉妹がお芝居をやっていたのだ。
いわゆる小劇場というのだろうか?
小さな小屋を借りて数人でやる芝居である。
そこに母親を呼んだのだ。
ついでに母方の伯母や叔母が(いとこ達の母親もね)集うように仕組んだのだ。
同じ日の同じ回で顔を合わせるように電話で呼び寄せた。
常に実家が恋しい母だった。
(それは父も同様で実家が何より恋しかったのだ。自分達で作る家よりも。そういう夫婦であったわけだ)
だから実家の姉妹たちと会えば喜ぶだろう。
そう思って仕組んだわけである。
小さな小屋の客席に太ったおばさん達が四人も並んだのである。
舞台からの眺めは壮観だったことであろう。
私は終演後すぐに帰ったけれど、巨大なおばさん達はお茶して帰ったらしい。
みんなでラーメンを食べたと嬉々として報告する母だった。
箱入り主婦だったから、そういう外の物を食べる機会も少なかったのだ。
(人見知りな父は外に出るのが嫌いだったし、外食などめったにしなかった)
主演のいとこ達にご祝儀を切る時も誇らしげだった。
いや、小さな小屋なんだけどね。
ちょっとした〝お旦〟気分を味わえたね。
我ながらうまいことやったと思ったよ。
今になって考えれば、そこまで仕組むなら私がチケットを買って全員にふるまうえよ!
と思うけど。
まあ、そこはそれ……皆さん裕福なマダムだったし。
それぞれが当日券で入ったわけだよ。
(名もなき小劇団に満員御礼などない!)
でもって、湯田中温泉だよ。
ああ、母を招いてやりたい……。
そう思ったけれども、その一つのことがどんな方向に転がるかわかったもんじゃなかった。
「エリザベスが呼んでくれた温泉は露天風呂は良かったけど、あれが✕✕✕でこれも✕✕✕で、お父さんたら✕✕✕して……でも、いい温泉だったわよ」
と人の心を逆なでするのが、まず予想できる答え。しかる後、
「あんな所に誰と行ったの? どうして知っていたの? え、一人で行ったの? 一人で!?」
などと更に心に鉋をかける。
そしてここで怒れば、お定まりの〝エリザベスは怒りっぽい駄目な子〟路線驀進である。
やめよう!!
心を鬼にして縁切りを続行した。
そしてそれは母亡き今も正解だったと思う。
言ってしまえば、寝たきりで胃瘻になった母の見舞い(それが最期の母の姿だった)で、ざまあみろ!と思った娘である。
「大嫌いな男に全ての面倒を見てもらって、何も話せず何も見えず寝たきりで死んで行くんだ。ざまあみろ!!」
口にはしなかったが、そう思ったし、それは寝たきりの母の心に響くと思って呪い続けたよ。
父は毎日タクシーで(免許返納していた)母を見舞いに病院に通っていたらしい。
その介護生活は大変だったろうが、父にとっては良かったと思う。
(いや、もっと大変だったのは最も身近に介護していた妹だけどね)
引退した医者でしかなくなっていた老人が、妻の最期を看取った立派な夫として自尊心を大いに高めたことだろう。
当の妻には地獄だったにせよ。
………嫌味が過ぎる?
私が見舞いに行った時も、実家からタクシーで母の病院に行った。
運転手が父を「先生」と呼んだのが、父にとっては救われることだったろう。
この地域に住んで江戸川医院(仮名だよ)を利用してくれた患者さんだったのかも知れない。
町医者として地域医療に貢献しててよかったじゃん。とか思ったりして。
ともあれ、私が父に最期に会ったのは、その母の葬式の時だった。
毎日母の見舞いに通っていた時より、かなり衰えていた。
足腰は丈夫だが、惚けて話が通じなくなっている老爺の姿だった。
母の葬儀には遠いのに大勢の親戚が駆けつけてくれた。
件の巨大な伯母や叔母はもう来れなかったけれど、いとこ達が来てくれた。
その数年後、コロナ禍のどさくさに父がみまかって、葬儀はこの上もなく簡素なものだった。
いわゆる家族葬ってやつ。
地域に貢献したのに誰も呼べなかったね。
兄妹だけで見送ったよ。
私にとっては、衰弱した猫めが今日逝くか明日逝くかって時だった。
実際はぐーちゃんはそれからまだ1ヶ月以上生きたわけだけど。
いや、猫めの話じゃない。
老いた両親の介護もせず最期も看取ることのなかった娘の話である。
それでも娘は母恋物語のような思いを重ねていたのだよ。
まるで大恋愛だよ。
生まれてからずっと恋しい人に愛を囁いて恋文を出して、デートをすれば、
「何でも買ってあげる!……そんなお地味な物でいいのぉ? もっと可愛い物になさいな」
なんて言われて、でもサプライズを仕掛けて……それでも振り向いてもらえない。
壮大な恋愛をしていたのだよ。
カウンセリングにつながって真実がやっと見えたんだよ。
ああ……私がしていたのは恋愛じゃなく失恋だったんだ……と。
半生をかけた壮大な失恋である。
そう気づき始めた頃に思ったわけだよ。
ああ、お母さんをこの露天風呂に入れてあげたいなぁ……と。
少なくともその心は純粋な愛だったと思うよ。
どっとはらい。
【追記】
検索すれば出て来るもんだね。
冒頭写真がそれです。
泊ったのはたぶん湯田中温泉よろずや(アネックスかも?)露天風呂は「桃山風呂」でした。