佐賀の駄菓子・玩具卸 高橋商店のその後
2023年が終わりを告げようとしています。
先日、長崎の本屋ウニとスカッシュさんにお邪魔して、makijaku製作室さんの展示「日記展」を鑑賞した(前夜の設営後に押しかけた)際、ご自身や周りで本当にいろいろなことがあったんだろうということ、それを大切に一つの展示として昇華させていることがとても心に響きました。
その365日に区切りをつけたいと思っているということも。
わたしもこの一年、勝手に「三大難題」として抱えて来たことの一つを書き残してみたくなりました。
その一つとは叔母が営むお店のことでした。
父方の祖父母が開いた佐賀市駅南本町の高橋商店。
祖父は約40年前に、祖母は20年前に亡くなり、父の妹である叔母がその後を継いでいました(父は25年前に他界)。
駄菓子・玩具の卸売業で祖母の代から経営状況は厳しく、この土地と昭和34年に建てられた木造の建物は、今年9月にそのまま新しい持ち主へと渡りました。
それから産廃・解体業者さんが次々と入り、10月には更地となりました。
建物としても愛着があったため、なんとか残してもらいたく、何度か話し合い、何か手立てがないか相談にも伺いました。Kさん、Nさん親身になってアドバイスくださり、ありがとうございました。
街の景観、街の個性、建物の価値などについて第三者からの視点でご意見をいただくなど。現実的な問題が重く、当事者ではない私たち兄妹の願いは叶いませんでした。
それでも春から夏の初めにかけて、「なつかし古本市」という緊急イベント開催でたくさんの方々に協力いただき、集まっていただいたことは、本当にありがたかったです。
ホコリまみれの木の棚を本棚にすべく、拭き掃除から手伝ってもらったり、
古本を運んでもらったり、店先でコーヒーを販売してもらったり…
小さい頃から無邪気に通っていたお店が無くなり、喪失感はありますが、これらの記憶を胸に「お見送り」の気持ちでいます。
土だけになった跡地を見ながら、「ここに自分たちの店を建て商売しよう」と決意する昭和30年代の祖父母の後ろ姿を想像していました。ある意味、元の姿に戻ったのかと納得。思い出が少ないからか、父が亡くなった時もそうでしたが、「埃」ですら形見のように思うことがあります。「埃は誇り」なんてね。風景も生活も目まぐるしく変化しています。故人が生きていたら、驚くことがたくさんあるでしょう。
70代の叔母はもう少しお店を続けようと、現在住宅地の民家で営業中です。
仮住居兼店舗のため移転先を探しています。
ご不便をかけますが、新店舗もよろしくお願いいたします。
今年は母方の94歳の祖母を心配しながらの大みそかとなりました。
みなさまもそれぞれの出来事と向き合われていることと思います。
穏やかなお正月でありますように。
今年も大変お世話になり、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
※三大難題のあとの2つは…? 仕事に関わることでした。一つは年をまたぎます。