「楽しい」の使い方
映画「セッション」(原題: Whiplash)を見ました。3回目です。
映像美、迫真の演技、なにより厳しいアメリカの音楽の世界を垣間見れます。 どこまでリアルかわからなけれど、監督、デイミアン・チャゼルの実体験に基づくというから驚きです。
作中で狂気の指導者フレッチャー教授が言います。
「英語で危険な言葉はこの2語だ "上出来だ(good job)"」
まあ日本のこの界隈で言えば、「趣味だから」とか「音楽は自由だ」とか「楽しければ良い」でしょうか。
このような絶対正義を気取った堕落のためのワードは危険だと思っています。
そういえば、マンガ「BLUE GIANT」でも駆け出しのジャズサックス奏者の主人公を、地元の音楽講師がしごくのです。
他の生徒は、よく言えば優しく、楽しく、悪く言えば適当に扱います。
この講師は主人公に期待しています。期待しているからしごくのです。
何が言いたいのかというと、パワハラが正しいのではなく、入口は「楽しい」で良い。でも尋常ならざる努力をしなければうまくならない。 「楽しい」だけで人を感動させられるほど音楽は甘くない。
この「楽しい」というワード、正確には「夢中」に置き換えるのが相応しいのではないかと考えています。
「夢中=ゾーン=無意識」は上達に絶対必要なメンタルの状態です。
重要なポイントは、孔子ですら「上下」を考えている、ことだと思います。
努力とは言っていないけれど、何かしなければ「及ばない」ということです。
そのためのモチベとして「楽しめ」と言っています。
「楽しい」は努力や嫌なことから逃げるためではなく、努力を義務から解放し「夢中」になるためのツールであると、私は考えます。
しかし、実際は努力から逃げるためのツールとして利用されていると感じることがほとんどで、大変残念に思っています。
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