テレビの幕末を吉田松陰のように生きたい①
幕末。テレビの幕末。今はテレビの幕末とも言えると思う。これは別に自分の意見というわけじゃなくて、全体の社会の動きをみてそうなんだと思う。お前らもその要因の一因であるし、俺も当事者である。全体的に見て完全にいまテレビが終わり始めている。のか?いや正直数字とかは全く見てないからフィーリングでしかないけど、確実にそうと言ってもおかしくはない。今やテレビを毎日見ている人よりYouTubeを毎日見ている人のほうが多いだろ。
長く続いた江戸時代、それが外国の訪問によって全て変わったように、テレビという時代がネットという黒船が来航したことによってすべてが変わろうとしている。というかもう変わったか?変わってるよな。テレビとか消費者とかがそういうのを受け入れてきている。テレビはもう昔のテレビではなくなり、それをつくったのは間違いなく消費者なのだ。
よく聞く、「昔のテレビのほうが面白かった」というワード。今のテレビは面白くない、炎上を気にしすぎだ、コンプラが厳しくなりすぎて面白くない、こういう声をよく聞く。だが、俺はそれは難しいことをよく言ったもんだな思う。今やテレビ・ネット問題はそんなに簡単にいく話じゃなくなってしまっている。
例えば、最近YouTubeのショート動画を見ていると、街の歩道橋の下り坂のところでスケボーをする動画が回ってきた。その動画は坂をスケボーで滑り、標識をよけれたのにそのあと転んでしまうという区分するなら「面白い動画」だった。動画に出てきている人は転んだ人と撮影者のみで、他に誰の人影もなかった。俺は正直、面白いなと思った。単純にスケボーをしていてカッコつけてたのにコケてしまうというところが。そこでコメント欄を見てみたところ、面白いというコメントもあったがそのほとんどが批判のコメントだった。俺みたいな意見は少なく、「そんなところでするな」「スケボーのイメージが悪くなる」「ほんとに迷惑」などのコメントで溢れていた。
ここで勘違いしないでほしいのが、別に俺は動画主の肩を持ちたいわけじゃない。歩道でのスケボーはダメだ。まぁ正直この例を出すのも本質とは少しズレるから扱いづらい内容なんだけど、ここのコメントの意見は客観的に見て正しいといえる。法律的にも歩道ではダメらしいしね。でも、違うんだ。ここで俺は違和感を持った。こんなに正しい意見なのに、そのコメントが及ぼす影響はそれだけではないと思った。つまり誤解を恐れずに言うと、「こういう声」がテレビを面白くなくしていると言えると思った。正しいんだけど、でも確実にテレビが面白くなくなっているような要因。表裏一体。
みんな自分の常識の中で生きている。自分の常識の中で生きているお前らには、自分の常識外のことが行われることが不愉快だ。例えば、先ほどのスケボー。確かに歩道でやるのはダメだ。それは法律的にもマナー的にもよろしくないといわれて当然の行為だ。だけど、その動画内には他の人がいなかった。「いないじゃなくて避けてるだけ」「いないとこだけ載せてるだけ」とそう言われればそれまでだが、事実として誰か見知らぬ人とぶつかったとか事故が起きたとかそういう動画ではなかった。そして、このスケボーを街中でするという行為はなにも最近始まったものじゃなくて昔からよく見かけられる光景だったと思う。
だが、昔も今ほどの批判を浴びていたかというと、そうではない。それはみんなスケボー賛成者だったかというとそうではなくて、今と同じような気持ちを持っていたとしても声を上げることは少なかったのだ。もちろん中には市役所にクレームをしたり、ずけずけと近づいていって直接文句を言うやつもいたと思う。だけどほとんどの人間は「めんどくさい」「怖い」「手間がかかる」などの理由をつけてそれをしなかった。その時代も明らかにスケーターが持っている常識よりもその他の人間が持っている常識のほうが一般的だったのに、スケーターはあまり糾弾されることはなかった。まぁもちろん裏ではされていたと思うが。
じゃあなんで、今このように批判の声が大きくなったのかというと、簡単に言えば「弱者が声をあげられるようになった」からだ。弱者。あえてこう書かせてもらう、いままで声をあげられなかった弱者がネットという誰でも意見が書き込めるところで自分の「正しさ」を世間に伝えることが出来るようになった。いままでだとスケボーを街中でするようないわゆる「輩」のような人間には怖くて直接吠えることはできなかったが、今はそれが簡単にできる。今まであげれなかった声をあげることによって、革命が起きた。いままで強い力の笑いのために自分の正義を貫けない不遇の立場にいた弱者。それは、笑いのためには弱者の我慢が生まれる必要があったからだ。人を傷つけない笑いなどない。そして、全員が嫌な気持ちにならないようなまっ平らな世界に近づくと、そこには笑いが無くなる。くぼみが無くなり、誰も落とし穴に落ちないようになり、誰も崖をのぼろうとしなくなる。ただ平面を歩いているなんにもなさを喜ぶだけになってしまう。
だから、不可能なんだ。この弱者の正義を含めながらお笑いをするというのはもう不可能。俺だってそうだ。俺だって面白いより不快が勝ってしまうようなものを何度も見かける。そして声を出して、そのものを排除するように立ち振る舞うことはできる。でも、それをした今の現状がこれだ。コンプラ、炎上、やらせ、ネットという今までの幕府をぶち壊した黒船によって新しい時代がやってきた。みんな平和だが、どこかつまらない時代。
じゃあその時代に俺はどう向き合っていけばいいのか。
いや、もう長いな。ちょっと長くなりそうなんで明日に回します。