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信じるものは救われるし、信じたことは引き寄せる

特定の宗教に言及しているわけでなく、
「信じる」という営みについて、
日頃考えていることをシェアさせてください。

僕は昔から宗教家に興味がありました。
中学時代に恩師から、
手塚治虫の「ブッダ」という漫画を勧められたのがきっかけだったと思います。
遠藤周作の「沈黙」大好きでしたし、
吉川英治の「親鸞」も繰り返し読みました。

特に
親鸞の教えは大好きです。

平安時代の終わりから
鎌倉時代の初頭にかけて
戦乱の絶えない世の中にあって、
人が死ぬ、人が苦しむ、
あるいは、殺す、殺されるということが
当たり前だった頃。

当たり前ですけど、
多くの人が苦しみ、
救いを求めました。

そのときの浄土宗の教えって、
僕、スゴいと思うのです。

南無阿弥陀仏
と唱えれば救われるんだ。
ただ信じなさい。
信じるものは阿弥陀さまがお救いになる。
絶対他力である、
と。

この信心のまっすぐさ。
強さ。
潔さ。
そして、わかりやすさ。

あるとき、
本当に南無阿弥陀仏と唱えれば往生できるのか?
わざわざ関東から出向いて
直接親鸞に教えを乞う
お弟子さんたちがいました。

親鸞は答えるのです。

本当に南無阿弥陀仏と唱えれば
往生できるかどうかはわからない。

私(親鸞)がやっていることは、
師である法然上人の教えに従って、
念仏を唱えている以外、何もない。
たとえ師である法然上人にだまされて、
地獄に落ちたとしても後悔はないんだ。
と。

つまり、
親鸞は、師を信じ切っているのであり、
師に騙されたとしても
それでいいのだ、
といっぺんの曇りがないわけです。

この潔い信仰心に
僕は昔から惹かれるところがありました。

信じていると
時に、まっすぐ、ドストレートに、
望むものを引き寄せることがあります。

まぐれかな?
まぐれだろう??と
思うものの40年以上生きていると、
いや、そうじゃない、
これは、信じる想念が引き寄せているのだ、
と思うことが何度も何度もありました。

スピリチュアルで
いかにもオカルトな話に
聞こえるかもしれませんが、
僕のなかでは確かな実感と手触りのある
既成事実です。

信じることが実現する
という、
不思議だけど確かな事実。

大切なのは、
いっぺんの曇りなく、
迷いもなく、
信じきることで、
信じる世界にワープできるということ。

なぜ、こんなことを書いているかというと、
今日まさに、それを実感したからなのですが、
また詳しくは後日報告させてください。

宗教を専門的に学んだ方が読めば
あまりにも浅はかな論考だと
笑われるかもしれませんが、
浅はかな者の浅はかな信仰だと思ってください。

最後までお読みいただきありがとうございます。
これを読んでくださったあなたの少しでもお役にたてれば幸いです。



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