振り返れば、意味があった
人生って、結末が分かんないからなあ。
お久しぶりです。
見てくださって、ありがとうございます。
えだまめです。
雨の影響で遅延した電車の中で書いてる。
雨の日は、電車がのんびり進んでいるように感じます。私だけ?
好きなことを思う存分
高校3年間は、好きなことを思う存分楽しんだ。
私は小1の頃から書道をしていて、書道パフォーマンス(音楽に載せて、数人くらいで大きな半紙に書道する)をするのが夢だった。
だから、高校では書道パフォーマンスが出来る書道部に入った。もう、それはそれは楽しかった。書道自体も頗る楽しいのに、それを愉快なメンバーでワイワイ準備する。常に文化祭の準備のような、そんなワクワクがあった。
高校3年の時はコロナ禍に突入し、パフォーマンスの数は減ってしまったけど、私はやりたいことが出来た。満足だった。
何がしたいのか、分かんない
書道はやり切った。ずっとやりたかったことが出来て、未練はまっったく無かった。清々しい気分だった。
大学に入った。……あれ?私は、何がしたいんだ??
何がしたいのかが分からなくて、サークルも入れなかった。アレでもないし、コレでもない。
ずっと悩み続けるには、大学生生活は長すぎる。とりあえず、通っていた塾から講師をしないかとお誘いがあったので、乗ってみた。本屋が好きなので、本屋でバイトしてみた。本屋は合わなかったので、辞めた。
「自分は何もしていない」「自分だけが止まったままだ」。そんな焦燥感に駆られて、noteを始めた。全く持って、楽しくない動機だ。
一昨年から去年は、ずっと、フワフワとしていて、苦しかった。「自分はこのままでいいのか」「何がしたいんだ」「何が出来るんだ」と、そんな考えが何もしていても薄〜く張り付いていた。
好きを集めていたのかも
大学にも行っているけど、一応バイトもしているけど、引き籠もりに片足を突っ込んでいるような生活をしていた。
大学が終わればバイトがあれば行って、それ以外は本屋に寄って、興味のある本を片っ端から買って読んだ。
本を読んでいれば、楽しいし、気が紛れるし、なんか「正しい」ことをしている気がした。スマホを眺めるよりも、「真っ当な」暇つぶしな気がした。
その一方で、本を読むのが苦しかった。本をかける人は、少なくとも私よりもキラキラしているはずだから。
でも、noteに読んだ本の感想を書くという、最もらしい理由を付けて読み続けていた。
先日、フッとこの行為は「好きを集めていたのではないか」と思った。私は今、大学3年で就活の時期だが、私はなーんにもしてない。
自分の好きなことや軸を考えた時、読んでいた本の内容ばかりが当てはまる。好きな分野の本を片っ端から読み、気になった分野はより詳しく書いてある本を読み漁るという行為は、知らず知らずのうちに「好きの深掘り」になっていた。
とても、安心した。
ああ、無駄じゃなかった。
そんな、話でした。
見てくださって、ありがとうございました。
えだまめでした。