私達は、選ぶことが出来る
見てくださって、ありがとうございます。
えだまめです。
ちょっぴりカタクルシイ
少し、堅苦しいタイトルになってしまいました。でも、言いたいこと全て。
図書館に行って、前に借りた本を返してきました。そして、新たな本を5冊借りてきました。
15日の間に全て読んで返す。出来るのでしょうか。前に借りた3冊も、一冊と70%しか読めてなかったのに。…なんとかなるでしょう。リベンジはいつでも出来る。
それはさておき。
タイトルの「選ぶことが出来る」というのは。
まず言いたいことは、マスクのことです。
春はそこかしこから甘い匂いがします。吹いてくる風も優しくて軽やかで、やさしい。
そんな中、マスクの着用は個人の判断ということになりました。
「ここは人が多いから、マスクをしよう」とか、「お花の匂いを胸いっぱいに吸い込みたいから、マスク外そう」とか、選ぶことが出来るようになりました。
やっぱり、嬉しい。
息苦しかった
当時はそう思いませんでした。
感染者が何人で、マスクのやトイレットペーパーの在庫が無くなって。どこの何の情報が正解で、この先どうしたら良くて、どこに向かっているのか分からない。みんなが疲労して、困り果てて、傷付いていた。
マスクを着けないといけない。アルコールで消毒して、パーテーションで仕切られて。外出自粛で会いたい人にも会えず、行きたいところにも満足に行けず。ライブやコンサートなどの娯楽が減っていく。
当時はその中で生きているので必死でした。情報を知らないと状況が見えず、「常識」から外れてしまう。慣れるのに精一杯でした。
今は。図書館のような行きたいところにも、大学の違う友達のような会いたい人にも、自由に会える。
そんな状況になって、やっぱり当時は息苦しかったのだなと思いました。
私達は、自由
せっかく、どこへでも行けて、誰とでも会えるようになったんだ。
自分自身を狭めるのはやめよう。そう素直に思えるようになりました。
結局、自分自身を縛り付け、可能性を狭めているのは自分だと気付きました。
制限下にあったときに、やりたかったこと、行きたかった場所。その気持ちが今も変わらないなら、行動してみよう。会いたい、行きたいという人や場所がなくなってしまう前に。
自由な、こころが思う方へ。『私達は、選ぶことが出来る』
見てくださって、ありがとうございました。
えだまめでした。