eda

写真を撮っている

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最近の記事

裏目

石鹸ブランド、ミューズの匂いを嗅ぐと 幸せな気持ちになる。 理由は明確で 保育園に通っていた時の風景が 鼻を抜けて目の前にしっかりと現れるからだ。 それとセットで必ず苦い記憶も蘇る。 まだ5歳くらいの時 手洗いで乱雑に並んだ便所サンダルから 1番右端のものを選びつっかけた。 用を足して 元あった場所にサンダルを戻しついでに他も 綺麗に並べようという謎の正義感のもと 姿勢を屈めた時に後から入ってきた男の子に ぶつかり転けさせてしまったのだ。 男の子は泣き始め女性の先生

    • 鳴らないクラクション

      前を走る白いバンが 信号前の右折車線へ入った。 僕の前はぽっかり空いたスペースができたのだが 先ほどの白いバンが急ハンドルでこちらの 車線に戻ってきた。 ブレーキを踏む。 まただと思う。 クラクションが鳴らせない。 白いバンは悪びれる様子もなく ブンと加速し次の信号で右折して去った。 山梨というところは車社会で みんなもれなく車に乗っている。 そんなわけで運転していれば パーーとクラクションが鳴るのはわりと珍しくない。 みんなどうやっているのだろう。 危ない時まず

      • いつからおじさん

        20代最後を間もなく迎え、来年には30代に突入する。 僕には姪っ子がいるのだが おじさんと呼んでくれる。 僕は密かにこれが嬉しいのだ。 これには理由があり 僕の小さなコンプレックスが関係する。 顔が昔から幼いこともあり わりとしっかりとした歳になっても 年齢確認をされる事が頻繁にあり 僕はこれが毎回苦痛だった。 免許証を出した後店員さんに 読みが外れた。 結構しっかりした歳だったなと 思わせるのもなんだか申し訳ない。 はたまたあれで20代折り返してるのかよと思われる

        • 信号無視

          僕は歩行時、信号を無視しないことにしている。 遅刻しそうな時も1秒かからず渡れそうな細い横断歩道だったとしても青が灯るまで待つ。 当たり前じゃないかと思われると思うが 本当にその通りである。 善人であると主張をしたいわけではなく 守らない人に対してこれといって不満もない。 強いてあるとすれば小さな怖さだ。 迷いが生じる時もある。 酒を飲んで散歩しながら帰る時はだいたい深夜で 田舎なので信号機の灯りが消えている場所もある。 信号機がまだ働いている場所では あたりを何度も見

          ピザのチラシ

          ピザが好きだ。 ピザを想像するだけで頭の中で あのモッタリとした重たい味が広がる。 前までは好きなことを口に出すのも躊躇われた。 あのハイカラさに勝手に気後れしてしまい かつそれを聞いた人に軽薄な奴だと思われないか 全くいらない心配をしていた。 ダーツやビリヤードはとても楽しいけど バーなどにあっても絶対に自分からやろうとは言い出せないのと似ている。 それでもピザのことを思う頻度は意外と高い。 ポストに定期的にねじ込まれるチラシを 僕はいつも一晩寝かせる。 もしかしたら

          ピザのチラシ

          マジックカットの精度

          「こちらのどこからでも切れます」 なんと頼もしい言葉だろうと思う。 いつからあるものか知らないがどれだけの人たちに 極小の便利さを与えてきたかは計り知れない。 最近、そんなマジックカットがうまくカットできないことに気づいた。手が濡れていたりすると上手くできないことはなんとなく体が覚えているがそうではない。 あれ、こないだも出来なかったなと思いながらキッチンバサミで軽く切り込みを入れる。 普段は特段感謝はされないのに上手くいかない時だけ なんなんだと怒りの対象になる。 かわ

          マジックカットの精度

          はじめに

          10代の頃、本を読むことが大好きだった。 高校の入学式、インフルエンザにかかり いきなり1週間学校を休んだ。 他の同級生たちは友達作りを済ませていたことで さらに僕の本をめくるスピードは加速した。 自分だけが感じていたであろうグループの渦の隙間で1人本を読むことにした。 いつか書くかもしれないが高校時代は辛かったわけではなく(一部除き)今思えば良かった。 友達も少し出来たしそれなりに青い時代も過ごした。 あれから10年以上経ちすっかり本から離れていた。 ある日、ふと中古

          はじめに