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友人にあずけたトンボ玉に地中海を見ている話

 友人にアクセサリーを作ってもらえることになった。美しいトンボ玉を持っているのに、どうしていいか分からなくて、仕舞い込んだままにしていると、なにげなくツイートしたところ、じぶんに預けてみないかと声をかけてもらえた。こんな時期じゃなかったら「ちょっと詳しい話を……」だとかなんとか言って、お茶にでも誘い出したかったところだけれど、残念ながらこんな時期なので、いそいそと手紙を書いて郵便局まで歩いた。
 今、ちょっと身体を壊しているので、とてもゆっくり歩いた。紺色の日傘の縁から見える空が青くて、すぐ横を走り抜ける自動車の排気音も分からなくなるほどの大声で蝉が合唱しているような、底抜けに明るい夏の昼下がりだった。なんとなく世界が遠く感じたのは、あまりにも暑くて、私の意識が遠くなっていたからかも知れないのだけれど、とにかく私はいろんなものから切り離されて、件のトンボ玉をもらった冬に立ち戻っていた。

 このトンボ玉をくれたのは、ある日本人の女性だった。わざわざ日本人と断らなくてはいけないのは、私たちが一緒に居た場所がイタリアだったからだった。たしか秋の初めくらいの時期に知り合って、仲よくなり、クリスマスのプレゼントにトンボ玉をもらった。私が折り紙や紙風船を持ち歩いて、旅先でのコミュニケーションの取っ掛かりにするように、彼女はトンボ玉を用意していた。そのうちのひとつが私に似合うと思ったから、残しておいてくれたということだった。
 濃い青とさわやかな孔雀色のガラスの海に、小さな白い花を撒いたような意匠で、ごろんと丸っこいトンボ玉の柔らかさが愛らしかった。ガラス細工といえば、ヴェネツィアやラヴェンナでたくさん見たし、どの街に行っても博物館や美術館、それに教会の宝物庫なんかで、一度はなんらかの透き通る装身具を眺める機会が訪れた。古代と呼ばれる時期から全世界で愛されてきた、ほとんど人類共通のアクセサリー素材だと信じて、独り決めでガラスに普遍性を感じていたのだけれど、地中海の風が吹く港町で再会したトンボ玉は、なにか特別に親しみやすいもののように思えた。

 とりあえず金色の組みひもを通して、素朴なネックレスにしたトンボ玉は、旅のあいだにとても重宝した。ホストとゲストのある夕食に招かれたりだとか、ちょっとしたパーティに呼ばれたりだとか、その手のイベントがまるきり起こらない人生を歩んできたから、そういう時に欲しくなるような大ぶりのアクセサリーなんてひとつも持っていなかったし、そもそもオシャレが苦手で自分じゃろくに選べもしなかった。あれやこれやと褒めて薦めて連れまわしてくれる友人に恵まれるまで、一粒で目立って話題性があるトンボ玉にはずいぶん助けられたと思う。
 でも、帰国してしまえば事情が変わってくる。私はまたドレスアップのない人生に戻るし、異国情緒の魔法を失ったトンボ玉は、太陽の昇る国に流れる川の涼しさよりも、修学旅行の子ども達が集まる京都のお土産もの屋さんの店先を思い出させるようになる。結果として、私はトンボ玉を仕舞い込んだ。仕舞い込んで、たまに出してきては、読書灯の明かりに透かして地中海を想うためだけに使うようになっていた。

 仕舞い込んだことについて、申し訳なさを感じていた。一度は私っていう持ち主の胸元を飾って、いろんな人に褒めそやかされていたトンボ玉が、すっかり引き出しの住人になっているのは気の毒だった。それで、その気の毒に思う気持ちをツイッターに呟いたところ、思いがけず友人から声をかけてもらえたという塩梅だった。
 私はハンドメイドを趣味にしている友人に、あのトンボ玉といい時間を過ごして、楽しく遊んでもらえたら嬉しい。どんなにゆっくりしてもらっても構わない。どんな風になって帰ってきてくれるのかは分からないし、いつ帰ってきてくれるのかも分からない。それがまた楽しい。お便りなんてあってもなくてもいい。ここには不在がある。かつて一緒に歩いた相棒が、今はひとりで旅行中なのだと思うと、雨に降り込められて部屋から動けなくなっている私の生活が、あの解放感に満ちた日々と地続きになってくれる。
 ひとつのビーズという存在から、ひとまわり大人びたアクセサリーという存在になって帰ってきてくれたトンボ玉と、また一緒に歩ける日が来るのが待ち遠しい。それと同時に、その先のことも待ち遠しい。いつかの夏、蝉の声や雨の音を聞きながら、ろくに歩けない身体を部屋に閉じ込めて、友人のもとへ送り出したトンボ玉のことを考えて過ごした2020年の夏のことを、遠い記憶として懐かしむようになる。今、難しいことだっていろいろとあった旅の日々を、ひたすら恋しく想っているみたいに、すべてが喉元を過ぎた先にある未来では、この閉塞感に満ちた日々も、きっと懐かしむに足る思い出に姿を変えているはずだから。

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