献立って、食べる側が「何でもいい」ように作る側だって「何でもいい」
こんばんわ、Edaです。
私は今、週1くらいの頻度で家族に夕飯を作っています。
5.6年ほど一人暮らしをしていて、自炊を結構していたので、家族に料理を振る舞うことは、自分の好きなことだろうと思っていました。
でも、自分のための一人分を作る料理と、家族に振る舞う3人前の料理って大きく違いました。
自分一人の時は、時短としてレンジでうどんを解凍して、その時に使ったお皿の上でそのまま味付けしていく、、、なんてことを良くやっていました。
でも三人分になると、一度うどんをひとまとめにして、調理してから個々に分けた方が早いですよね。
そんな感じで、慣れた手順とはだいぶ違って、一人暮らしの時に簡単だった料理が、3人分だとむしろ手間になることがあります。
さらに、食べる人が自分だけでないというプレッシャー、、、!
これは本当に大きいです。自分の食べるものであれば、気が紛れる程度の野菜でも取った気になれるし、味は濃かろうが、薄かろうが、問題ありませんでした。
でも自分以外も食べるとなると、野菜は足りるか、ご飯のおかずになるものは何がいいか、二日間肉料理だったから今日は魚にしとくか、作ったけどコレ美味しいかな、、、などなど。
考えること・心配することはたっくさん!!!
母は偉大なり、、、。
私の家庭では母がご飯を作ってくれていたので、一人で献立を考えることは相当なストレスだったハズ。
夕飯に加えて朝ごはんも作っていたし、本当にすごいと思います。家庭内で料理を振る舞う全ての方、凄い。。。
そんな母がよく言っていたのは、
「夕飯、何が良い?」
でした。
ただリクエストを求められているだけだと思っていた私は
「何でもいいよ」
です。
もう本当にダメですよね、、、!
今ならわかります。母へ、ごめんなさい、、、。
優しい心100%でリクエストを聞いているんじゃない、あれは、
「考えるのが大変だから、何か一つでも案を出して」
という気持ちから来ている言葉だった。現に私はそうです。
食事を考えるって本当に大変。食べる方は、出されたら食べるよって気持ちかもしれませんが、それでカップ麺なんて出すわけにはいかない。(そんな夕食もたまには良いかもしれませんが)
調理工程が多いものは時間がないから、作れない。でも昨日と被らないようにしなきゃなどなど、色んな面から考えなくてはいけません。
でも食べる側が、「生姜焼き食べたーい」なんて一言あれば、それに沿って献立を組み立てられますよね。
食べる側が「何でもいい」ように作る側だって「何でもいい」んですよね、本当は。
だから、今では母が「夕飯何がいい?」と言ってきたときは、あれやこれやと言ってみます。自分でもパッと思いつく料理がほとんど無いため、よくスマホで探しながら。
でもやっぱり一言めは「何でもいいよ」って言ってしまいます。
無意識に、ご飯を考えることを母に押し付けているんですよね。ただでさえ作ってくれているのに、、、。
便利な調理グッズや時短の調理法がどんどん広まっていますが、中々開放されない‘献立を考えること‘。
一人暮らしだと、そこまで悩むことはありませんでした。
誰かに振る舞うからこそ、抱えるストレスですね。
「何がいい?」って聞かれたら、案は必ず1つは出すと心に決めました、、、。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
ではまた
Eda
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