ルッキズムの取材に答えたら、自分軸を持たない生き方の話になった
今年の夏、カウンセリングの卒業生から、取材の依頼が届いた。
・改めて簡単な自己紹介をお願いいたします。(お名前、カウンセラーになった経緯、他にさ れているお仕事等)
渡邉茜、33歳です。
2015年に東京から宮崎に移住し、山を丸ごと買って、農家の夫と三人の子育てをしながら、フリーランス的な働き方をしています。正しくは、夫と私の会社なんですが。私の仕事は、農家の嫁・クリエイター・摂食障害専門のカウンセラーですね。
カウンセラーになったのは、私自身が16歳のとき拒食症になり、高校を辞めたり、引きこもったり、パン職人を目指したり、2年遅れで大検をとって心理学部に入学したり、新卒で大手求人広告会社のコピーライター・デザイナーとして働いたり….と、「こうなりたい」と目指して今の仕事をしているというより、今できることをやった結果、仕事になってしまった感覚です。
・昨今、SNS のダイエット法を真似して摂食障害に陥ってしまう人も多いかと思います。本格 的に摂食障害に陥ってしまう前に、「まずいかも」と気づくにはどうしたら良いでしょうか。
摂食障害は、いわばダイエット100パーセントの生活です。
そうなると、「痩せることが最優先」の生活になるので、
「本当はスイーツが食べたいのに、食べられないから友達の誘いを断る」
「本当は旅行に行きたいのに、食事が不安で行くことができない」
「本当は本を読みたいのに、動かないのが不安だから運動してしまう」
といったように、
本来送りたいと思っている生活に制限が出てしまいます。
だから、少しでも「痩せたいがために、制限が出てしまって、本来やりたいことが後回しになっているな」と感じたら、黄色信号だと思って、自分の生活の優先順位を見直してみてほしいなと思います。
・食べる=甘えという風潮が強い中、「食べる」ことに罪悪感を覚えないようにするためのアドバイスをいただきたいです。
まずは、食べることはトイレに行くのと一緒で、当たり前の行為であって、いいも悪いもないという前提に立ちかえることが大切だと思います。
・あかねさんは SNS でもよく「痩せや美しくなることを完全に辞めようとする必要はない」と おっしゃっているのが印象的です。痩せたい気持ちを持ちつつ、その感情に飲まれないようバ ランスを取るにはどうしたら良いでしょうか。あかねさんがご自身で実践されていることなど もございましたらお伺いしたいです。
前の質問にも通じますが、「何のために食べるのか」「何のために美しくいたいのか」「何のために痩せ体型でいる必要があるのか」を考えることが大切だと思います。
つまり、行動の目的が大切であって、食べることも美しくいることも痩せることも、その目的を達成するための「手段」でしかないんだよね。
その行動の目的は、多くの場合は自分の人生を楽しむことだと思います。
だから、「どんな人生を送っていきたいか」というイメージを膨らませ、生きる目的が決まれば、その目的の方を最優先に意識して生きることができる。
すると、痩せるための行動をしても、他にも優先させるべき行動があるので、ダイエット100パーセントの生活にならない。
だから、痩せたい気持ちもあってもいい。でも、痩せるためだけの人生って、楽しいかな?って考えてみると、「いや、もっと他にもやりたいことがある」と気づくと思います。
摂食障害を予防するためにも、痩せていることよりも、もっと心を奪われるような、ときめきを大切にしながら生活することが大切かな〜と思います。
そういう意味では、私は自分の好きだな〜と思えるものを大切にしてます。
食器ひとつとっても、私はフィンランドが好きなのでイッタラやマリメッコで揃えたり。
マキタという電動工具メーカーが好きだから、マキタの家電でそろえたり。
森林系の香りが好きだから、その香りのシャンプーやルームフレグランスを置いたり。
建築やアートが好きだから、アート系の雑誌やサイトを見たり、建築家のインタビューを読んだり、好きな美術館に行くための旅行の計画を立てたり。
そうやって、好きなものに囲まれていると、自分の人生を楽しんでいるな〜って自然と実感できますよね。
・あかねさん自身、髪色等オシャレを楽しんでいる姿が素敵です。上記の質問とも通じます が、「痩せたい・綺麗になりたい」が自分の意志によるものなのか、社会基準に合わせたいと いう潜在意識によるものなのかわからない人も多いかと思います。どうしたら美しくなること を「自分の意思」で楽んでいると言えるでしょうか。
人は社会的な生き物だから、外見を気にすることって、自然なことだと思います。
正直、フリーランスになると自分の外見を整えることも仕事になりますw
社会人になると実感する人も多いと思いますが、
身なりを整えることは、ある意味「マナー」だとも思います。
だって、新入社員がパジャマで会議に参加していたら、それはちょっとマナーとしてどうなの?相手への敬意がないんじゃない?って思います。
そうそう、おしゃれって相手への敬意なんですよね。
おしゃれって、相手のために時間とお金をかけることじゃないですか。
だから、デートに髭もじゃで彼氏が来たら「あ、私のこと舐めてんな」って思うし、打合せにノーメイクできたら「あ、この人私のこと大切にしようと思ってくれてないな」と思います。
また、おしゃれはマナーでありつつ、自分のテンションをあげる手段だとも思います。髪の毛を緑にすると、何となくおしゃれになって気分がして、テンションが上がる感じがします。
だから、社会的にどう見られるかを気にしつつも、「どんな容姿だったら、自分のテンションが上がるか」を重視することが大切ではないかと。
ただ、それは「健康体」である前提ですね。
よく摂食障害の人は「自分が病的な痩せが好きだから、痩せたままでいたい」と言います。そういう生き方もありだと思いますが、私はそれは自分のパフォーマンスが落ちるので、つまり、テンションが上がらないので、私は健康前提で装いを考えていますね。
・「直感力」の動画の中で、直感を邪魔するのは「意志」や「思考」というお話がありました が、思考を止めることは難しいように思います。(どこまでが自分の意思なのかわからないで す。)どうしたら止められるかアドバイスをいただきたいです。
言葉を捨てること、ですかね!笑
最近マインドフルネスが流行っていますが、思考を捨てる、つまり頭の中でぐるぐる考えている言葉を捨て去り、五感を通じて、今感じていることを大切にする時間をつくることが大切かなと。
スマホを捨て去って、自然の中をお散歩するのもいいですよね。
私は山に住んでいるのですが、静かな山の中でぼけ〜〜〜〜っとすると、いろんな気づきがあります。
ただ、思考する人は感じることが苦手だと思うので、
「〜したい」なのか、「〜のために、〜しなければいけない」のかで整理すると、わかりやすいかもしれません。
・摂食障害の過去、チョークアート、コピーライター等、ご自身の経験をプラスにしてマルチ に活動されているところをすごく尊敬しています。ご自身の経験や得意なことをお仕事にして いくまでの経緯についてもっとお話を伺ってみたいです。
まわりからすごいね、って言われるけど、
私は逆にそれがコンプレックスなんですよね。
どれも真剣に取り組んではいるし、プロだと自覚している。
だけど、器用貧乏というか、どれも一流ではない、突き詰められていない感覚もあって。
なんというか、独立してから、ずっと、肩書きを一言で表せないという悩みがあって、「自分の軸を決めなければ」と、路頭にまよう自分がいました。
「自分の軸を決められない=ダメなこと」と思えば思うほど、自分の生き方がダメなような気がして、自己否定が止まらなかったんですよね。
そんな悩みを考えたくなくて、昼からお酒を飲む日が続いていたある日、たまたま見ていたYoutubeの「YOUのこれからこれから」で、YOUさんが青学の原監督の言葉を引用してお話しされていた。
その話を聞いて、「あ〜私は自分に合わない生き方を目指していたから苦しかったんだな」と腑に落ちた。
私は、ものすごくストイックなところがあり、悪く言えばバーンアウトしやすかったり、依存しやすい傾向があった。
だからこそ、健康的な依存先を数多く持っておくことが、自分の心の安定には大切だった。
そういえば、私は16歳で肩書きを捨てることから、第二の人生が始まっていたんだった。自分が心地よく生きるために、あえて「目標」や「枠」を決めない生き方を練習してきた。
来たバスに乗れる自分が育っていった。
それが中途半端で心地悪くなることもあるけど、心の健康あっての人生だと思えば、それが健全だった。
そして、これが私の生き方だったんですよね。
だから、自分に限らず、どの生き方が正解とかはない。
自分に合う生き方が、自分の正解だと思ってます。
たぶん、誰でも自分らしさを探したくなる時ってあるし、時に摂食障害の人は社会に評価されるために努力して、必死に自分の役割を見つけようとする傾向がある。
でも、私は自分らしさは「幻」のような思い込みでしかなくて、
この移ろいやすい世の中で、変わらない自分を決めようとする、作ろうとすること自体が無理があるって思います。世の中が変わりやすいのだから、自分自身も変わって当然であって、変わらない自分を作ろうとするから苦しくなっちゃうんだよね。
だからこそ、自分らしさとかいったんおいておいて、「今できること」に集中していきる、でいいと思うんですよ。
今やっていることが、好きとか嫌いとか、やる意味があるとかないとか、そんなのどっちでもいい。
全て意味の内容で、すべて、これからの人生を作る材料になると思ってます。
私自身、摂食障害のカウンセラーになるつもりもなかったし、チョークアートを仕事にしようと思って10年前に挫折したけど、10年後に独立してまず初めの仕事はチョークアートの看板だった。
20代後半以降って、10代の頃挫折した失敗したと思っていたことが、点と点が、線となる瞬間ってくるんですよね。
成功も失敗も回り道もすべてこれからの人生につながっていくものだと信じて、日々淡々と生きていくでいいのではないかな〜と思ってます。
というか、30歳を過ぎて、やっとそう思えるようになりました。
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